ノンフィクション作家・門田隆将氏が100人を超える生還した兵士たちを全国に訪ね、取材した『太平洋戦争最後の証言』(小学館刊)。三部作の完結編となるのが「大和沈没編」である。門田氏は、大和が沈没する時の様子をこう記している(文中敬称略)。
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大和が沈没する時に「万歳」の声があちこちから起こっている。三番高角砲の射手、亀山利一(89)は最期の時、「万歳」を叫んだ一人だ。
「わしら三番高角砲は、ちょうど艦橋の下やで、撃ちつづけたのや。最後、艦が斜めになってまって、(退避の)命令が出たのやわ。わしら走って一番主砲の前のほうに来たら、万歳、万歳しよるのよ」
バンザーイ、バンザーイ……大和と共に死んでいく兵士たちが今生への名残を込めて、そう叫んでいた。
「わしも立ってそのまま、万歳、万歳してな。その時は、敵の攻撃も何もなかったな。あれは、不思議なぐらい静かな中で、万歳の声が聞こえとったな」
万感を込めて万歳を唱和した亀山は、ぐるりとまわってみた。三百六十度、最後の風景を自分の目で確かめようと思ったのだ。
「まあ、これでこの世の終わりやで、ずうっとひとまわりしたのや。最後の“地球”やで、ずうっとな。もう海水が傾いだ艦橋の下についてまって、わしは右舷に走って、右腹の喫水線まで行ったのよ。喫水は、でばって大きいで、結構歩けるでね。水がずうーっと来よるんやけど、まだ大和はまわりよったからな。わしは大和と一緒に最後までまわったわ。それで、ざあーっと海に入っていったな」
亀山は、こうして最後まで大和にいたまま海に入っていったのである。
「一緒にぐるぐるなりながら、そのうち気を失った。その時、家族の顔が一人ひとり映ってきてな。その日の朝、わしは思い出して、親や兄妹の名前を呼んだのや。大和の最期の日やったでな。その顔がひとりでにずうっと頭に浮かんだわ。父、母、じいさん、ばあさん、兄妹……全員の顔が出てきた。それで、銃後を守ってくださいって言ってな」
意識が失われていく時、頭に浮かんだのは、やはり家族の顔だった。
「その時、不思議なことに、自分の葬式まで浮かんできてな。あれは昭和十七年やったか、わしが休暇でひと晩だけ家に帰った時、支那事変で死んだ人たちの村葬をちょうどやっててな。それで、ああ、わしもあそこで村葬してもらえると思ったんやな。
それから、腹に巻いとる千人針と、胸のお守りさまを押さえたのやわ。そしたらぱっと覚えがなくなった。苦しいで、神さまや仏さまが止めてくれたのかわからんわね」
それは、「死」に臨んだ不思議な体験だった。しかし、気がつくと亀山は、重油の海に浮いていた。
「海は油だらけでどろーっとな。あれは飲んだらいっぺんやで。しばらくしたら敵機が機銃で撃ってきたわ。頭の上をまわって反対からも来たな。手を出して、てめえら撃ってみろと叫んだな。二、三回で行ってもうた。それからは小さいのに掴まって浮いとったわな」
亀山が漂流の末に駆逐艦雪風に救出されたのは夕方のことだ。
奇跡の生還を果たした亀山はその後、呉の海兵団に戻って残務整理をおこなっている。そこで、すでに大和で亡くなった兵士たちに届いた実家からの手紙を目のあたりにした。
「大和が沈んだっていうことは秘密になっとったでな。そういう手紙を整理してたら、夕べ、靴音がとんとしたで戻ったかと思ったら、そうやなかった、とか、夢の中であんたが帰ってきたところを見た、とか、そういうことがずうっと書いてあった。わしは、ああ、みんなの魂は、やっぱり、家族のもとに帰ることができたと思うてね。それを知って、なんかほっとしたな」
肉体はなくなったが、戦友の魂は愛する人のもとに帰っていった――亀山は、訥々とそう語った。
※週刊ポスト2012年5月4・11日号