「大往生したければ医療と深く関わるな」「がんで死ぬのがもっともよい」。そんな主張をする医師が京都にいる。京都の社会福祉法人老人ホーム「同和園」の常勤医を務める中村仁一氏だ。これまで数百例の自然死のお年寄りを見送ってきた中村氏から、老人医療の問題点、これからの日本人か持つべき死生観について聞いた。(聞き書き=ノンフィクション・ライター神田憲行)
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医者のくせに「大往生したかったら医療に深く関わるな」というと、みなさん、いぶかられると思います。でもいま、年寄りは病院で苦痛の果てに死んでいます。そのままにしていたら、医療が濃厚に介入しなかったら。きっと穏やかな死を迎えていたはずなのです。
病気やケガを治すのは、基本的には、その人が持つ「自然治癒力」なんです。医者はそれを助ける「お助けマン」、薬は「お助け物質」にすぎません。医療は年老いたものを若返らすこともできなければ、死を防ぐこともできません。「老いと死」には無力なのです。
たとえばがんですが、これは老化なんです。研究者によってまちまちなんですが、どんな人でも毎日5000個ぐらい細胞ががん化しているといわれているんです。でもそれを私たちの身体に自然に備わっている免疫の力で退治しているので事なきを得ているのです。ところが年とともにこの力が衰えますから、年寄りががんになっても当たり前、驚くにはあたらないんです。
がんの予防には「がんにはならないようにする」一次予防と「なったものを早く見つける」二次予防があります。二次予防には「早すぎる死」を防ぐという目的があります。繁殖を終えて、生きものとしての賞味期限の切れた年寄りには、もはや「早すぎる死」というものは存在しません(笑)。
まだライフワークが残っている年寄りは別として、そうではない、普通の年寄りに「がん検診」はどれほどの意味があるのでしょう。繁殖を終えたら死ぬ、これは自然界の“掟”です。鮭は産卵後間なしに息絶えますし、一年草も種をつければ枯れるんです。
一般にがんは強烈に痛むものと受け取られていますが、ホスピスの調査でも痛むのは7割程度と言われています。逆に言うと、3割は痛まない。つまり3人に1人は痛まないことになります。私の施設でも食が細り、顔色が悪くなってやせてきた、おかしいということで病院で検査したら末期のがんで手の施しようがない。家族も年も年だし、おまけにぼけている。これ以上苦しめたくない、というので老人ホームに戻ってきた。
そのまま何もしないと最後まで痛まずに往生した。少なくとも発見時に痛みのない手遅れのがんは最後まで痛まないということは確実に言えそうですね。巷間いわれるように、がんが痛いものならどうして早くから痛まないのでしょうね。
胃がん・肺がん・大腸がんなど塊になるがんは抗がん剤を使っても、多少小さくなることはあっても、消えてなくなることはありません。抗がん剤は猛毒ですから、正常な身体の組織や細胞に甚大な被害を与えます。当然、Q.O.L(生活の中味)が落ち、ヨレヨレの状態になってしまいます。
ですから繁殖を終えたら、抗がん剤は使わない方がいいと思います。延命効果はなくとも必ず縮命効果はあるはずです。よしんば数ヶ月延命したとしても、どういう状態で延命するのか考えて下さい。
青息吐息のヨレヨレの状態で生きてもあまり意味ないでしょう。長生きするつもりが、苦しんだ末に命が短くなっているのが現実ではないでしょうか。
「がんで死ぬんじゃないよ、がんの治療で死ぬんだよ」というわけです。
【中村仁一氏プロフィール】
1940年、長野県生まれ。京都にある社会福祉法人老人ホーム「同和園」付属診療所所長、医師。京大医学部卒。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、2000年2月より現職。著書に「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(幻冬舎新書)などがある。