【書評】小倉紀蔵『心で知る、韓国』
【評者】川本三郎・文芸評論家
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韓国ドラマには日本人から見ると気恥しくなるようなセリフが多い。例えば「冬のソナタ」で有名になった「愛する人にとっては、お互いの心が最も良い家じゃないかしら」というセリフは日本人にはわざとらしく感じられてしまう。
小倉紀蔵『心で知る、韓国』は、そんな日常的な題材を手がかりにして、韓国文化の特質を明らかにしてゆく。
もともと儒教の性善説が強く、楽天的だから、日本の男性だったら絶対にやらないことを平気でする。公衆の面前で女性に花束をあげたり、友達との集まりで自分の恋人を徹底的にほめあげたりする。喜怒哀楽の表現が日本人以上に激しい。
日本の社会は1980年代のバブル経済以後、ポストモダンと呼ばれる新しい個人優先の時代に入ったが、韓国は、プレモダンとモダンとポストモダンの三つの時間がビビンパのようにまぜこぜになっているという指摘は面白い。
例えばドラマのなかでこの三つの世界観はこんなふうに混ざり合う。
主人公の若者はおしゃれなレストランでデートする(モダン及びポストモダン)が、家に帰ると相変らず父親がいばっているし、若者は母親にも頭が上がらない(プレモダン及びモダン)、弟は軍隊に行っていて(モダン)、自分は最先端の音楽関係の仕事をしている(ポストモダン)。
ひとつの家族のなかに三つの価値観が混ざり合っている。これが日本人にも新鮮に見える(もっとも、バブル崩壊後、不況の続く現代の日本でも、またプレモダン、モダンの様相が見えはじめているが)。
韓国の中核を担う世代に、北朝鮮に対するコンプレックスがあるという指摘には目からウロコが落ちた。
韓国と北朝鮮が統一されたとき、どちらがより正統性を持った政府になるか。無論、国力、経済力では圧倒的に韓国の方が強いが、国家権力の正統性では、北の方が優位という考えが韓国にあるという。
その考えの根拠は、北がかつて親日派を排除したこと、さらに北は抗日運動をしたこと。韓国はどちらも中途半端で、それがコンプレックスになっているという。知らなかった。
※SAPIO2012年5月5・16日号