日本のプロレス界に大いなる足跡を遺した巨人・ジャイアント馬場。1999年に亡くなったが依然としてその人気は衰えることはない。ここでは、DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』第1巻(小学館)より、ジャイアント馬場の16文キックにまつわる秘話を紹介しよう。
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馬場の代名詞ともいえる16文キックが誕生したのは、アメリカ武者修行中の1962年6月ごろ。ニューヨークのサニー・サイド・ガーデンでスカル・マーフィと組んでカルロス・ミラノ&ピーター・センチャーズと対戦した馬場は、ミラノをロープに振った際、マーフィの「キックだ!」の声に、とっさに左足を振り上げてミラノの胸板にカウンターキックをぶち込んだ。ミラノは強烈なダメージで立つことができず、馬場がフォール勝ち。偶然出た一発だった。
当初、馬場本人には特別な意識はなく「無意識に左足が出たのは、巨人軍時代に毎日、左足を高く振り上げてピッチングしていたからだろう」という程度のものだった。
が、力道山道場で足の屈伸運動を毎日3000回やっていた脚力から繰り出される強烈なキックはマスコミに注目され、本人も得意技にしようと意識するようになった。完成は1964年末。LA市警で空手の師範をしていた日系人に空手の蹴りを教わって、それを取り入れたことでピタッと型が決まるようになったという。
命名したのは某スポーツ新聞。馬場がLAで購入した靴に16というラベルが貼ってあったことに由来。実際の馬場の足サイズは16文(約38.4センチ)でも、16インチ(約40センチ)でもなく、34センチだった。
取材・文■小佐野景浩 撮影■木村盛綱
※DVD付きマガジン『ジャイアント馬場 甦る16文キック』第1巻(小学館)より