厚生労働省は、今国会で「労働安全衛生法改正案」の成立を目指している。これは職場の受動喫煙防止を目的に全面禁煙または空間分煙を迫るものだ(現在修正案を検討中)。
これによって「分煙」はこれまでのマナーの領域から義務へと大きく変わる恐れがある。本格的に「規制・撲滅」に動き始めた国の動きをどう見るか。現代史家・秦郁彦氏が、「たばこと健康被害」の観点から論じる。
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そもそも「非喫煙者でも副流煙によって被害を受ける」という論理を盾に受動喫煙というリスクを広めたのはWHO(世界保健機関)である。
実は、世界で初めて受動喫煙という概念を打ち出したのは日本人である。故・平山雄が提唱した「平山論文」がその端緒であり、その後の一連のたばこ規制の理論的支柱となってきた。
平山は満州医科大学を卒業後、旧厚生省国立公衆衛生院技官やWHO勤務を経て、1965年から国立がんセンター研究所疫学部長を務めた。そこで保健所のネットワークを利用して26万人余を対象とする「人とがん」に関する大規模な追跡調査を実施。その結果、「喫煙者の夫と非喫煙者の妻の組み合わせで妻の肺がん死が少なくないのは、副流煙の吸入による受動喫煙に起因する」といった着想を得た。
そして1981年、なぜか日本ではなく、イギリスの医学情報誌『British Medical Journal(BMJ)』で論文を発表。わずか3ページの学術論文とは言い難い投稿文だったが、反響は大きかった。
簡単に要点を記しておくと、9万人余いる非喫煙者妻のうち肺がん死した人数は、夫が非喫煙者の場合は32人、喫煙者の場合は142人。人口比で見ると、前者は0.15%、後者は0.20%と僅差に映るが、平山式の計算では相対リスクは1.61倍(夫が1日20本以上吸う場合は2.08倍)の有意差を示すという。
だが、BMJにはその年だけで平山論文に対するコメントが12本掲載されているが、ほとんどは疑問か異議の部類だった。その後も批判が相次ぎ、ついには1984年、7人の専門家がウイーンに集まり、「受動喫煙に関する国際円卓会議」まで開催された。
その議事録を通読すると、孤軍奮闘する平山を吊るし上げる会かと思えなくもない。平山はその経歴からも明らかなように、医学博士とはいえ臨床経験がないこともあってしどろもどろな対応に終始するなか、平山のデータと結論が正しいとしても有意差は認められないと判定される。
最後に座長が「平山理論は科学的証拠に欠ける仮説にとどまる」と締めくくると、平山は「たばこを廃絶したら、こんな論争は不要になる……私は政府とWHOへ働きかけたい」と開き直るしかなかった。
ところが、その予告通り、平山は医学的なアプローチをなかば諦めたかのように、政治工作と嫌煙運動へとのめり込んでいく。
これに米国の公衆衛生局と反たばこキャンペーンに乗り出していたWHOが飛びつき、「受動喫煙=悪」という図式は再び息を吹き返していった。
その波に乗って平山理論は日本に逆輸入され、国内の嫌煙家たちの間で持て囃されることになる。
平山自身、『禁煙ジャーナル』誌を主宰する運動家として全国を飛び回り、「日本専売公社(現JT)はたばこ病専売公社と改名せよ」とか「受動喫煙を“緩慢なる他殺”と呼びたい」などと過激度を増していく。
ついには、勢い余って「肺がんばかりではない。ほとんどのがんはたばこが原因」と叫びながら、1995年にがんで亡くなったとされる。
以上、見てきたように、受動喫煙説の口火を切った平山理論は、専門家が集う国際会議の場で「科学的根拠に欠ける仮説」と結論付けられたものにすぎない。その真偽も満足に検証されないまま、「疑わしきは罰す」というたばこ制圧が大手を振っているのだ。
私はかつて、「韓国で慰安婦狩りをやった」などと証言した元軍人・吉田清治のウソを現地調査で暴いたが、自らの主張を通すためにいい加減な情報を政治的に利用して世論を動かしたという点で、平山と吉田は同じ役割を果たしたと言えるだろう。
※SAPIO2012年6月27日号