2010年1月に経営破綻した日本航空(JAL)だが、5月14日に発表された2012年3月期決算は営業利益2049億円、純利益1866億円と過去最高益を更新した。
会社更生法下において、経営を立て直す努力は、どのようになされたのか。また、再建に辣腕をふるったとされる京セラ創業者の稲盛和夫名誉会長が来春には退任する意向を表明しているが、JALはもう後戻りはしないのか。以下、日本航空代表取締役社長・植木義晴氏のインタビューをお届けする。
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――実際に執行役員をしてみて、管財人とぶつかりましたか。
植木:結構ぶつかりました。運航本部長として運航乗務員を中心とした本部の立て直しをしました。世間からの批判は、高給をいただいていた乗員に集まっていましたから、今までの同僚や後輩たちともぶつからなければならなかった。
ヒトもモノも含めた、かなり厳しい構造改革、はっきり言えばリストラを行なわなければ再生は不可能と覚悟はしていましたが……、いちばん辛かったのは仲間を失っていくことですね。でも、それをやらなければ、この会社は立ち直ることはできない、と腹をくくりました。そのためには稲盛さんともぶつかりました。
――そして市場が想像した以上の成果が出たと。
植木:我々が想像した以上でもあります。
――その背景には、やはり稲盛氏の存在が大きかったと言われていますが、具体的には稲盛氏は何をしたのですか。
植木:……社員の心を変えたのです、一言で言えば。
――どういうふうに?
植木:採算意識の薄かった社員にコスト意識を持たせたとか、責任感の薄かった社員にそれを持たせたとか、いろいろな言い方はあると思いますが、基本的に意識改革を行なってくださったと思います。
今、JALの企業理念の冒頭は「全社員の物心両面の幸福を追求し……」となっています。まさに再建真っただ中に改定を行なったのですが、当初、社内では反対意見も多くありました。破綻して公的支援を受けておきながら、社員の幸福か、と。お客さま、債権放棄や株式の100%減資など多大なるご迷惑をおかけした関係者、さらに言えば国民の皆さまにご迷惑をおかけしておいて、社員の幸福を掲げることに色々と議論がありました。
それはもちろん、そうなのですが、逆に言えば、この会社に一番欠けていたものだったのですね。会社は社員のことを考えていたのか、社員はそれを本当に信じられていたのか、ということでした。経営陣と社員の間にはっきりとした意思疎通がなかったのではないかと。
そこで稲盛さんは、まず経営は社員のことを思え、と。それがなければ、社員が会社を愛してくれることもないだろう、と。会社を愛することができない社員が、お客さまに本当のサービスができるはずがない、と教えてくれました。
そうした意識改革の中で、私も気づきましたが、勝手を申しますと弊社には優秀な社員が揃っていると認識しています。揃っていながらなぜ破綻まで行ってしまったかと言えば、経営も社員もみんな当事者意識が薄く、甘えの構造の中にどっぷり浸かって、問題を先送りする体質が染みついてしまっていたからだと思います。JALは潰れない、と経営も社員も思い込んでいたんですよ、私も含めて。
そこで私たち経営陣は毎日叱られました、稲盛さんに。
「社員も含めて、あなたたちみんなで、この会社を潰したのです。それをまず自覚しなさい。自覚すれば、まじめな人間が多いんだから、必ず良くなる」
「この会社には命がけで会社を良くしようという人間がいない。命がけでやらなければ良い会社にはならない」
ということを繰り返し、言われました。
――京セラで実践されているフィロソフィ(経営哲学)をJALでも独自に作って、全員に配布しましたね。
植木:昨年1月に「JALフィロソフィ」として40項目を1冊の手帳にまとめ、JALグループ社員に配布しました。私も含め10人ほどで約3か月かけてつくりました。
書いてあることは、昔の道徳の授業のような、難しくもないことばかりです。そんなことをいまさら言われて「くやしい!」みたいな抵抗感があった社員もいたでしょう。そういうインテリ集団でしたから。
しかし、実際に破綻を経験して、地べたまで墜ちた状態で、教わっていくうちに、これがいつの間にか共通用語になっていった。たとえば、「最高のバトンタッチ」という言葉があるんですが、空港スタッフと客室乗務員の連携がスムーズにいった際、「今日は最高のバトンタッチができたよね」といった具合に、乾いた砂に水を撒くように社員の心の中に入っていきました。
そして、ここで大事なのは結果が出たことですね。こういう精神的なことを説いても結果が伴わないと、みんな付いてこない。しかし、V字回復という結果が出たんですから、これは強いですよ。
●聞き手/前屋毅(ジャーナリスト)
※SAPIO2012年6月27日号