【書評】『尖閣喪失』(大石英司/中央公論新社/1890円
【評者】山内昌之(明治大学特任教授)
この小説の読者のなかには、民主党政権で二代続いた無能な防衛大臣の代わりに、自衛隊出身の安全保障の専門家が大臣になって安心する人も多いだろう。舞台は尖閣諸島。時期は政権交代の空白と重なる。日本が政治的に真空状態にある好機を逃さず、中国は偽装漁船に乗り組んだ人民解放軍部隊を魚釣島に上陸させようとする。
これを阻止しようとする海上保安庁巡視船の使命感と勇気は頼もしいが、腰の据わらぬ政府は所詮領土防御の決意もできない。巡視船のすぐれた防御網と肝力をもってしても中国人の上陸侵略を阻止できなかった。
そこで海上自衛隊の登場となる。政権交代の結果、外交安保通で著名な政治家が首相となり、危機の解決に乗り出す。しかし、米大統領は、中国による米国債売りの脅しに屈して、尖閣を日米安保の防衛義務の範囲に当たらないとシラを切る卑怯さである。
それでも、新首相はたじろがず自衛隊部隊を北小島に上陸させ、日米安保から自主防衛に舵を切る決断力を発揮する。ここで、思いもかけぬ事態が起こるが、それは中国相手では予想できなくもない事態である。呑気に中国観光をしている無防備の日本人には想像もつかないだろう。
この後、日本最大の外交安保通の首相はいかなる対応をするのか……。いかにもありそうな筋書であるが、主人公とも呼べる一人物は、参議院外交防衛委員会調査室の上席調査官なる地味な仕事屋である。
この奄美大島出身の男、海上自衛隊特殊戦部隊の古参二曹、中国側では中央弁公庁の海軍軍人などは、映画化すれば、すぐに読者が好みの役者をあてはめたくなるほど印象的な人物である。中南海の奥の院の権力構造や主席の描写も興味深い。しかし最後の瞬間に、日本の首相なら言いそうな命令を実行する自衛隊員らの無念さこそ、本書の核心であろう。いま、すべての国民に読んでほしい本である。
※週刊ポスト2012年6月29日号