フェイスブックは日本でどこまで普及するのか。かつて外資系証券会社で莫大な利益を上げた“伝説のトレーダー”赤城盾氏が、日米文化の違いを比較しながら日本での普及について分析している。
* * *
私自身、ミクシィやグリーは触れる機会もなかったが、さすがにフェイスブックは数年前に登録だけはしてみた。そしてすぐに、これが日本で普及するのは難しかろうと感じた。
フェイスブックは、簡単にいってしまえば、リアルタイムで公開される日記である。何月何日何時にどこで何をして何を感じたかを記録し、自分が「友達」と公認した人々にむけて公開し続けるために使われる道具である。
その行きつくところはプライバシーの消滅であり、これは、ネットとリアルの自分を使い分ける我が国のネットカルチャーと真っ向から対立する。
元来、日本における個人のネットによる情報発信は、ホームページを開設する著名人を除き、匿名が原則であった。世界を席巻するフェイスブックよりも、匿名掲示板「2ちゃんねる」の利用者のほうが多かったのは間違いないだろう。ネットによるソーシャライズ(社交)と聞けば、まず売春や犯罪といったダーティな目的が勘ぐられるようなお国柄である。ネットは、アメリカでは実名で結婚相手を探すものであり、日本では匿名で浮気相手を探すものであった、とでもいえようか。
アメリカにおいても、フェイスブックの個人情報管理のあり方は、セキュリティの脆弱さと併せてしばしば問題にされてきた。
しかし、日本人にとっては問題意識の次元がまるで違う。わが日本という国にあっては、まともな常識人であっても、たとえば、どこで晩飯を食ったかをいちいち妻やガールフレンドに知られたら、迷惑する御仁のほうが多かろう。
もちろん、アメリカにも女にだらしのない男はいて、日本にも愛妻家はいるであろうが、おしなべて、アメリカで異性関係に関して求められる倫理は、日本人には信じられないほどに厳しい。
要は、浮気がばれたら賠償金をむしり取られてしまうから、きちんと離婚した後に再婚相手を探す。フェイスブックは、そういうアメリカ人の行動様式に即して発達したものであろう。二股をかけたり、こそこそ浮気を繰り返すことを愛好する日本人にとっては、そもそも、自分の交友関係を公開すること自体が煩わしい。
【プロフィール】
あかぎ・じゅん:1980年代後半、米証券会社ソロモン・ブラザーズに入社し、同社の高収益部門の一員として活躍し、巨額の報酬を得た後に退社。
※マネーポスト2012年夏号