民主党を飛び出した小沢新党「国民の生活が第一」だが、衆院37人、参院12人の計49の勢力にすぎない。新聞もこぞって今度こそ小沢はダメだという論調で足並みを揃えている。
そんな小沢氏だが、過去、最大の窮地に立たされたのは1997年末の旧新進党解党のときだった。自民党に対抗する2大政党の一角として小沢氏がつくった新進党は党内抗争が相次ぎ、結党わずか3年で6党に分裂。小沢氏は54人(衆院42人、参院12人)で自由党を旗揚げし、このときも「小沢は終わった」といわれた。
ところが、自由党は1998年の参院選では大メディアの惨敗予想を覆して比例で520万票を獲得、1議席を増やした。
その自由党も2年後に分裂する。衆参50人の所属議員のうち半数以上が保守党を結成、小沢氏に従ったのはわずか衆院18人、参院6人の24人にすぎず、野党第4党に転落した。現在の「国民の生活が第一」よりも規模の小さい“ミニ政党”に転落し、その年(2000年)の総選挙はまさに崖っぷちの戦いだったが、小沢自由党は「日本一新」を掲げて比例で660万票を獲得して衆院22議席に躍進した。永田町では「小沢は1人で600万票を持つ」と驚愕された。
そうした個人票は依然、健在だというデータがある。小沢新党の政党支持率は産経新聞とFNNの合同世論調査で3.7%(比例の投票先6.5%)、共同通信の調査では4.8%(同5.6%)だった。
各紙は小沢新党に「期待しない」という回答が8割を超えたことを強調して報じているが、実は自由党時代の政党支持率はもっと低く、平均3~3.5%で、2000年総選挙直前に実施された投票先世論調査でも自由党は3.2%(時事通信)にすぎない。それでも総選挙では660万票を獲得した。現在の小沢新党の支持は当時より高いのだ。
それには理由がある。
元秘書の石川知裕・代議士が語る。
「新進党解党でそれまで小沢の支持基盤だった財界、業界団体、宗教団体などが離れたが、その代わりに一般有権者から小沢事務所に大量の激励の手紙やFAX、Eメールが送られてくるようになった。その1人1人に連絡をとり、秘書が直接会いに行くと、相手は感激してくれる。そうした人々が今も小沢支持層の中核になっている」
何度も絶体絶命の危機を乗り切った小沢氏は「選挙の神様」と呼ばれる。
※週刊ポスト2012年8月3日号