極度の不振を続けたレイズ・松井秀喜(38)は7月25日、戦力外通告を受けた。レイズでは故障者が復帰するにつれて外野の守備機会が多かった松井の出番は減少し、マドン監督からは出場機会を確保する目的で、一塁の守備練習を命じられたこともあった。後半戦が始まった7月13日、ジャーナリストの出村義和氏が松井にインタビュー、引き際についてどう考えているのか聞いていた。
* * *
――ヤンキース時代の最後の年(2009年)、膝を故障して出場機会を与えられなかったあなたに、「現役引退を決意する時の基準」を聞きました。その時の答えは、「膝の具合がよくなって守れるようになり、それでも成績が残せなかったら考える」だった(週刊ポスト2009年11月20日号掲載)。それは今も変わっていない?
「ここ1、2年の打撃成績は確かに多少落ちているけど、膝の状態は当時より全然いい。何よりも守れる。プレーができるうちはプレーしたい。それだけです」
そういって、松井らしい仕草――“うん、うん”と繰り返しながら頷く――を見せる。
しかし、次に「松井秀喜というスーパースターがそこまでして現役に拘るとは思わなかったが……」と尋ねると、「ちょっと待ってください」と質問を遮った。どんなインタビューでも質問を最後まで聞き、少し考えてから言葉を選んで答える松井が、質問を途中で遮るのは極めて珍しい。
「ちょっと待って。僕はスーパースターじゃないですから。それに、そこまでして……って、どういう意味ですか?」
思わぬ“逆質問”だったが、声色はいたって変わらない。苛ついた表情でもない。むしろニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべるあたりに“松井らしさ”が感じられる。そこで次の質問をぶつけてみた。
「あなたが師と仰ぐ長嶋(茂雄)さんや王(貞治)さんは、余力を残して引退しましたよね」
誰もが認める「ミスタープロ野球」である長嶋の現役最終年は、打率. 244と振るわなかったものの、15本塁打を放ち、ほぼ全試合の128試合に出場した。「世界のホームランキング」の王は、129試合に出場し、30本塁打・84打点の成績を残した。
ファンは「まだまだプレーできる」と思いながらも、引退の決断を受け入れた。
あくまで例えば――の話であるが、長嶋が負担の少ない一塁転向を監督から打診されたり、王が左投手の時にスタメンから外れたりしていたならば、2人はその場で自らユニフォームを脱いでいただろう。コンバートやスタメン落ち、代打生活という道は受け入れまい。そして、「スーパースター」に夢や希望を託したファンも、2人にそうした晩年を許さなかったのではないか――。
「何でもやる」「プレーできるうちはプレーしたい」という松井は、ONの引き際についてどう考えるのか。松井は即答した。
「比べないでください。ONのカテゴリーに僕を入れないでくださいよ。僕はスーパースターじゃないし、エリートでもない。そんなことは一度だって思ったことはないんですから。
ヤンキース時代に、トーリ監督(当時)から“キミはブルーカラーの選手だ”といわれたことがある。自分でもそう思っているし、何よりもそういってもらえたことを自分の誇りにしているんですよ。現役に拘るといっても、これまでずっとそう思ってプレーしてきたし、今年もそう。それだけなんですから、大袈裟にいわないでください」
――日米で10年間ずつプレーした選手はあなたしかいない。それも日本で数々のタイトルを獲得し、メジャーではワールドシリーズのMVPになった。多くのファンがスーパースターとして見ているのは確かです。
「そんなこといって、僕を勘違いさせないでくださいよ。もしかして、勘違いさせたいんですか? 僕のこと。ハッハッハ。
周りが日米で20年間やってきたことをどう見ているのかわかりませんが、自分自身では凄いことをやってきたという認識はないです。野球が好きで、チームが勝ってほしい。そのためにいいプレーをしたい。それだけです。その時その時の力量に違いはあるけれど、この20年間……いや、アマチュア時代から自分の気持ちは変わっていませんよ」
※週刊ポスト2012年8月10日号