皇位継承権を有することで天皇家を支える宮家――現在その数は秋篠宮、常陸宮、三笠宮、桂宮、高円宮の5宮家にとどまるが、終戦当時は14宮家を数えた。
これらの宮家は明治維新を機に天皇の命で京都から東京に移り住み、洋館、和風御殿を問わず日本最高水準の建築技術で本邸を構えた。アール・デコ様式を贅沢に取り入れた朝香宮邸や唐破風屋根の車寄せが見事な久邇宮邸などモダンで格式高い邸宅が往時の姿を留める。一方、本邸のほかにも全国各地に別邸を建て、憩いの場として用いた。たとえば福島県の有栖川宮翁島別邸は、昭和天皇皇后夫妻の新婚旅行先として知られる。
ところが、昭和22年10月に事態は一変する。GHQによる皇室財産凍結、及び皇族に対する特権廃止の指令によって、昭和天皇の弟宮である秩父、高松、三笠の直宮家を除いた11宮家――山階宮、閑院宮、北白川宮、梨本宮、久邇宮、小松宮、賀陽宮、東伏見宮、朝香宮、竹田宮、東久邇宮が「平民」となったからだ。
それ以前、すでに宮家の屋敷の多くは震災や戦災で焼失していたが、平民となって経済的に窮した旧宮家は家屋敷の売却を余儀なくされる。結果、ホテルや旅館、美術館や大学の施設に姿を変えることになった。今も現存する屋敷の佇まいや調度品数々から、時代の変遷に翻弄された宮家の歴史に思いを馳せていただきたい。
写真で紹介するのは、静岡県御殿場市に現存する「秩父宮御殿場別邸」(現・秩父宮記念公園)だ。
大正天皇の第二皇子秩父宮雍仁(やすひと)親王が結核療養のために購入した井上準之助元蔵相の別荘。昭和16年から27年まで過ごした。玉音放送を弟宮の高松宮夫妻とともにこの別邸の一室で聞いたとされる。
昭和28年に薨去後、夏になるとたびたび滞在した勢津子妃も平成7年に薨去。遺言により別邸は御殿場市に遺贈され、平成15年から秩父宮記念公園として一般公開されている。
撮影■渡辺利博
※週刊ポスト2012年8月10日号