ロンドン五輪で日本中を熱狂させているのが、男女のサッカーだ。男女アベックメダルの期待も高まる両チームだが、現地入りした飛行機の座席は男子が「ビジネス」クラスなのに対して、なでしこは「エコノミー」クラスだった。この男女の待遇格差について、欧米メディアでは“男女差別”などと厳しく報じている。
こうした“差別”の歴史は、サッカーに限ったことではない。スポーツジャーナリストの玉木正之氏はこう話す。
「かつてはスポーツ競技全般が“男子のもの”とされてきました。近代オリンピックの創始者であるクーベルタン男爵は“男性の勝者に冠を与えることこそ女子の仕事”と公言し、1896年に行われた第1回アテネ五輪の参加者は男子だけでした」
いまでこそ人気の高い女子マラソンや女子柔道も五輪の歴史はまだまだ浅い。玉木氏が続ける。
「マラソンは“か弱い女性には無理”と思われていました。1966年、男子だけだったボストンマラソンでは、スタート直前まで木陰に身を潜めていた女性がスタートの号砲とともに飛び出し、ゴールまで完走したという逸話があるほどです。それをきっかけに非公式の女性ランナーが次々と現れ、1984年のロサンゼルスから女子マラソンが五輪の正式種目となったのです」
また柔道でも“柔道の父”と呼ばれる嘉納治五郎氏が“母体保護”をうたい、女性の試合を禁じてしまったという。嘉納氏の自伝には<女子に試合を禁じているのは、勝ちたい負けたくない一心から無理をするようになり、それが原因で病気を引き起こしたり、最悪の場合は一生を台なしにするような不幸を招くとも限らない>と綴られていた。
女子の試合への参加が認められるようになったのは1980年代からで、五輪の正式種目となったのは1992年のバルセロナ五輪だった。
こうした経緯を経て、ようやく女性のスポーツ進出は勢いを増し、三段跳び、棒高跳び、レスリングといった、かつては“男性競技”とされていた種目にも女性が普通に出場するようになっていった。とはいえ、どの競技でも男子に比べて、女子の待遇が低いのは如何ともしがたい事実なのだ。
※女性セブン2012年8月16日号