ウェブ上で圧倒的な存在感を見せるネット右翼。一部は街頭にも進出しているとはいえ、その実態はなかなか掴めない。そもそもネット右翼とはどんな人々なのか。彼らを長期に亘って取材してきたジャーナリストの安田浩一氏が、その素顔に迫る。
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ネット右翼(ネトウヨ)と呼ばれる若者と接する機会は少なくない。7月末、都内の居酒屋で会った25歳の青年もその一人だった。
「朝鮮人が嫌いだ」と彼は大声でまくしたてた。「朝鮮人は恥知らずだ。犯罪者ばかりだ。日本を貶め、日本人を嫌っていながら、日本に住み続ける。許せない」
混み合う店内で私は周囲の視線を気にしながら、それでも彼の言葉に耳を傾け続けた。空になったグラスが増えるたびに口調はますます熱を帯びる。矛先は黙って聞いているだけの私にも向けられた。
「なめられっぱなしだってことがわかっているんですか? なぜマスコミは朝鮮人の本当の姿を国民に伝えないんですか? あの犯罪民族によって歴史は捏造され、我々は土地も資産も奪われたんですよ。日本人だって拉致されたでしょう。このままじゃ日本が日本でなくなってしまう。それでいいんですか?」
彼にとって韓国と北朝鮮は完全な「敵国」であり、在日コリアンは「侵略者」以外の何者でもなかった。考え得る限りのあらゆる否定的価値が、それらに詰め込まれている。
憎悪に満ちた言葉を次々と吐き出しながら、それでも話題が他に逸れると、彼はどこにでもいる、あまりに凡庸な若者の姿に戻った。中学時代に不登校を経験し、学校という存在に良い思い出を持っていないこと、転職を繰り返す自分に両親が厳しくあたることなどを、そのときばかりは穏やかな表情で私に漏らした。
抱えきれないほどの不安と不満と憤りをどのようにコントロールすればよいのか、彼自身も苦しんでいるように見えた。ある意味、それはあまりに真っ当な若者の姿でもある。耳を覆いたくなるような差別と偏見で彩られた言動を除けば――。
彼が「日本人としての危機感」を持つようになったのは、民主党政権が発足した2009年からだという。それまでは特に政治への関心も興味もなかった。そんな彼を憂国の道に誘ったのはネットの世界である。ネットには民主党政権発足を危惧する言葉があふれていた。各種掲示板で、ブログで、右派系サイトで、日本の危機が叫ばれていた。
売国奴が政権を握った。外国人参政権が成立するのも時間の問題だ。「在日」が日本に反旗を翻す。売国奴と連携した中国が日本を攻めてくる。日本が日本でなくなる。
怖くなった、真実を知った、と彼は言う。本当の敵を発見した、とも言う。外国人が日本を蹂躙し、隅に追いやられる日本人、つまり自分の姿を想像した。それまで想像すらしたことのなかった暗黒の世界が広がった。
そして彼の孤独な“戦い”が始まった。深夜、アルバイト先から帰宅すると愛用するノートパソコンと向き合った。ネット掲示板や右派系のブログ、SNSを巡回する。彼の「お気に入り」は日を追うごとに増えていった。
韓国、北朝鮮、中国といった「特定アジア」(ネット右翼が好んで使う用語のひとつ)、在日だけでなく、マスコミ、労働組合、左派系市民運動といった「新たな敵」も発見した。これらはすべて、日本を貶める売国奴である。有事の際には敵国勢力に呼応して破壊工作に乗じる敵の第5列だ。彼はそう信じた。
それらを討つためにネットに書き込み、危機を訴え、そして日本に必要だと思われる動画を拡散させた。それが彼にとっての「戦争」だった。
――それでスッキリした気持ちになるの?
私は彼に尋ねた。
「するわけないじゃないですか」
彼は即答した。
「ネットでは盛り上がるけれど、現実社会を見れば、いまだ政権を倒すことすらできていない。まだまだ負けているんですよ、僕らは」
そう訴えたときのやりきれない顔つきは、私がこれまで取材してきた多くのネット右翼の言葉や表情に重なった。生真面目さと憎悪、焦燥。彼ら彼女らは危うい情熱に包まれていた。
この春、私はネット右翼と呼ばれる人々の姿を追ったノンフィクション『ネットと愛国 在特会の闇を追いかけて』(講談社刊)を上梓した。取材の過程では、ネット社会から生まれた愛国者たちの怨嗟の声を聴き続けた。
シナ人を追い出せ。朝鮮人を追い出せ。叩き出せ。殺せ。
ネットに書き込まれる言葉が、そのまま口の端に上る。言語感覚にバーチャルとリアルの差異はなかった。
冒頭の青年と同じように、ネットを「主戦場」としている若者がいた。なぜ「戦って」いるのかと問う私に、彼は「日本を取り戻すため」だと答えた。彼は外国および外国人によって日本が「奪われた」と思い込んでいる。憤りの根底にあるのは異文化流入に対する嫌悪と、外国籍住民が日本人の「生活や雇用」を脅かし、社会保障が“ただ乗り”されているといった強烈な被害者意識でもある。
いま自分が立っている場所は、あるべき日本ではないと考えれば、世の中のあらゆる理不尽を「敵」の責任として転嫁できる。雇用不安も経済的苦境も福祉の後退も韓流ドラマやK-POPの隆盛も、すべては「敵」の陰謀なのだ。
「在日が日本を支配している」といった荒唐無稽な主張さえ、「奪われた者」たちにはもっともらしく耳に響く。支離滅裂だが明快ではないか。在日など外国籍住民を略奪者にたとえるシンプルな極論は、一定程度の説得力を持つ。
ネットはそうした怒りの熱源を沸騰させるに最適なツールだ。
かつてネット空間はリベラルなアカデミズムによって独占されていた。いかなる検閲も制約も受けることのない言論空間として、カウンターカルチャーの一種に数えられることもあった。しかし1990年代半ばからのパソコン大衆化に伴い、議論が感情の応酬へと変化するのは必然だったといえよう。
※SAPIO2012年8月22・29日号