江戸時代、五街道のひとつ奥州街道の宿場町としての歴史を持つ福島県郡山市。東京―青森、いわき―新潟を結ぶ主要道路が交差する交通拠点として栄えたこの街も、昨年3月11日の震災後はすっかり活気を失っていた。
震災以降、原発被害などを考えて故郷を離れる決断をした人も多いが、逆に、帰ってきた人もいる。そのひとりが西田敏行(64才)だ。都内には妻子と一緒に住む豪邸がある西田だが、この地に新たに家を購入したという。
「郡山にいる時、西田さんは復興支援のためにコンサートやイベントを開いたり、避難所の慰問に行ったりしているんです。仲のよい地元の友達とも遅くまで飲んでるみたいですよ。こっちに家があるから安心してるんでしょうね」(地元の知人)
一方、都内の豪邸周辺ではこんな話が…。
「最近、自宅にホームセキュリティーのステッカーを付けていたので、奥さんに聞いてみると“夫は郡山にマンションがあって、ほとんどこっちにいないから、防犯のためなんですよ”って苦笑いを浮かべていました」(近所の住民)
東京でも郡山でも、別居生活を送っているといわれているのだが、西田の所属事務所に話を聞くと、こんな回答だった。
「月に2、3度郡山に行って、長期滞在することはあっても、自宅を買ったということはありません。ホテルに泊まっています」
家の購入こそ否定したものの、月の大半を郡山で過ごしているのは確かなようだ。そこには、郡山復興にかける思いのほかに、いまどきの熟年夫婦らしいライフスタイルの選択があった。
「西田さんは、体のことを考え、“酒をやめて、長生きする”、そんな細くて長い人生よりは、好きな酒を飲み、仕事もやり、仲間と騒ぎながら死んでいくほうがいいという男なんです。だから、故郷の郡山はやっぱり居心地がよかったんでしょうね。西田さんは仕事やボランティアがなくても、“妻と一緒にいるより故郷へ”と、時間があれば、郡山にやってくるようになりました」(前出・地元の友人)
※女性セブン2012年8月23・30日号