ネット上で発生し、一部は街頭に出て活動する「ウヨク」(ネット右翼=ネトウヨ)たちを、“本家”の「右翼」はどう見ているのか。民族派団体、一水会顧問の鈴木邦男氏は、かつての自分の姿を重ね合わせた上で、彼らは言論の場に出て戦うべきだと提言する。以下、鈴木氏の主張である。
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ネット上だけで活動しているネトウヨはもちろん、「主権回復を目指す会」(目指す会)や「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の一人ひとりは、寄る辺のない人間だと思う。だからこそ、「強くなりたい」と願うのだ。しかし、集団で「我々は日本を背負っている」と言った途端に、人間から巨大ロボットに変身したような気がしてしまう。それに加え、「北朝鮮に攻め込め」「韓国、中国を許すな」などと発言すると、その錯覚はさらに強まる。これは怖いことだと思う。
また、彼らはそうした運動の場に、「日の丸」をたくさん掲げ、自分たちは「日本」だと言う。しかし、外国人に「出て行け」と言う偏狭さが日本と言えるだろうか。
日本の歴史は、中国や西欧など、あらゆる文明をほとんど無制限に受け容れながら続いてきた。そうした咀嚼力、自由さ、鷹揚さは日本的であり、素晴らしい。だからこそ、「これこそが日本で、それ以外は許さない」という姿勢は“日本的でない”、と私は思う。彼らには、もっと「日の丸」を大事にして欲しい。
もう一つ、気になることがある。彼らが運動するきっかけの多くがネットであるせいか、敵と戦うことに免疫がないということだ。
私は、学生運動当時に、対立する左翼学生たちとしょっちゅう激論を交わし、時には殴り合った。それでも、敵にも優秀な人間がいる、いい奴がいるということはお互いに分かっていた。
しかし、ネット右翼は頭の中で架空の敵を作り、それを「反日」だと名指しして罵る。しかし、本当は、ナマの敵を知らないのではないか。
私は、言論の場に出ることで“いい敵”と出会う機会を得た。そこでは失敗もしたし、却って馬脚を露わしたこともあったと思う。ただ、敵とたくさん戦うという経験を経たからこそ、自分を冷静に客観視できるようになったのだ。
例えば、弁護士の遠藤誠氏(故人)のように、思想は100%違っても、尊敬できる敵は何人もいる。反対に、思想は同じだが尊敬できない人間もいる。一体感を原動力に運動している間は気付かないが、やがて時間が経つと、仲間の中にさえ、ろくでもない人がいることを知る時が来る。今後、彼らには、そうした試練が待っているのだと思う。
「自分たちを批判する相手とは会いたくない」「同じ考えの集まりが心地いい」と感じるのは、ネット右翼だけではなく、ネットで知りたい情報だけを読み、気の合う仲間とだけ集まるような、日本社会そのものでもある。
そして、在特会や目指す会を支えているのは、名前や顔を出さずに拍手喝采を送る大勢の人間だ。ネット右翼たちには、考えの異なる敵と討論することに挑んでほしい。たとえ仲間から追い出されたとしても、言いたいことが言えるかどうか。一人ひとりが強くなるためにはどうしたらいいのか。
そのためには、集団での単なる弱い者いじめをやめ、ネットという「安全地帯」を飛び出して、国のことを考え、発言する勇気を持ってもらいたい。
※SAPIO2012年8月22・29日号