全国各地で次々と明らかになったいじめ問題では、学校があてにならないこともあることがわかったが、親は一体どのようにして子供を守ればいいのだろうか。俳優・清水章吾(69才)はかつて、いじめの標的となったわが子を、必死の思いで救い出した過去を持つ。
妻のハルマンさん(61才)とは再婚同士だ。長女の絹さん(38才)と次女の響美さん(32才)の2人の娘が大人になるまでいじめ問題には悩まされてきた。清水が語る。
「絹が中学生の時でした。男女30人に囲まれ、集団リンチを受けたことがあったんです。牛乳瓶で切られた指は、神経にまで達する深い傷になっていて…。連絡を受けて慌てて病院に行った時は卒倒しそうになりました。響美も幼稚園に入園するのと同時にいじめに遭い、それからずっとですからね。本当に長かった」
取材には、ハルマンさん、絹さんも同席した。絹さん本人は当時をこう振り返った。
「あの時は、顔の形が変わってしまうくらいに殴られました。通行人が警察に通報してくれたので、手の方はそれくらいの傷で助かったんです」
絹さんは淡々とその時の様子を語った。いじめの「原因」は絹さんの容貌だった。母親のハルマンさんが、いまでもくやしそうにいう。
「私、父はドイツ人で、母が日本人。いつも『ガイジン』っていじめられてきたのよ。そんな時代はとっくに終わっていると思っていたけど、娘たちも同じ目に遭ったの」
清水夫妻は学校を訪れた。いじめの中心になっている生徒の名前はわかっていた。清水が、中学の対応をあきれ顔で語った。
「学校側は“その生徒を傷害罪で警察に訴えてください”と、まるで他人事で、いじめ問題に取り組む姿勢がまったく感じられなかった。担任教師は化学室に籠城し、出てきなさいと声を張り上げたけど、結局出てきませんでしたからね」
暴力を受けた翌日、絹さんは熱を出して学校を休んだ。その日のことを絹さんは鮮明に記憶している。
「生きるのはもういいやって、ふと思ってしまったんです。『ガイジン』といじめられるのは序の口で、『拾われてきた捨て子』っていつもいわれていた。自分の部屋の天井に縄跳びの紐を結び、首を吊ろうとしました。その時、ちょうど母が薬を持ってはいってきた」
ハルマンさんは絹さんの頬をはった。
「『死ぬ勇気があるなら、生きればいいでしょう』って、初めて母に頬を叩かれました。その時の母は、いつもの優しい顔と違って、鬼のような形相でした」(絹さん)
いまは絹さんの言葉に笑うハルマンさんだが、実はこの時の記憶は、あまりの衝撃だったためか、まったくないという。相手の親からは、
「子供のけんかに口出しするな」
学校はあてにはならなかった。それでも絹さんの命を救わねばならない。清水夫妻は迷わず、いじめを主導していた生徒の家を訪ねた。
相手の親からは「子供のけんかに親が口出しするな」と罵声をあびた。それでも夫妻はひるむことはなかった。絹さんを守るために必死だった。いじめの張本人とも直接会って、話をしたという。
「何度も会っていると、相手の子も心を開いてくれた。いじめをしてしまう要因がその子の家庭内にあって、愛情に飢えているのがわかった。夫婦げんかが絶えない家庭でした。時間が許す限り、その生徒の話を聞いてあげたんですよ。学校が悪い、いじめる生徒が悪いと一方的に責めることはしなかった。結果的にはそれが功を奏したのかもしれません。その子のことを私たちが理解してあげたら、結局いじめは止みました」(清水)
その後、ハルマンさんのぜんそく治療のために一家は埼玉県所沢市から本庄市に転居している。
「あの時のいじめの張本人とは、いまでも友達としてつきあっていますし、ウチの両親のことも覚えていて、『元気にしてる?』って聞いてきますよ」
絹さんが笑みを浮かべながらいった。彼女はいま、世界的なアートフェアに出展する画家に成長している。
※女性セブン2012年9月6日号