領土を守る行為とは、「ここは日本領だ」と叫ぶことだけではない。むしろ、名もなき市井の人々が築いてきた生活の営みこそ、「日本領土」たる揺るぎなき根拠である。ここでは南鳥島をめぐるエピソードを紹介しよう。
日本最東端の島、南鳥島には現在、海上自衛隊、気象庁の職員ら30数人が常駐する。この島を発見したのは、小笠原諸島・父島の雑貨商、水谷新六という人物だった。
1896年、水谷は当時、無数のアホウドリが棲息するとの噂があった「グランパス島」を探す探検に出た。結局この島は海図に誤記された幻の島だったが、諦めて帰港する途中、台風に遭って小さな珊瑚礁の島に漂着する。
この島が南鳥島だった。
船がバラバラに砕け散り、食料も水も底をついていた水谷は、小型の伝馬船で南鳥島から小笠原へ帰ろうと再び海に出た。高波に翻弄されながら、ただ北へ北へと舵を取り続け、約1か月後、小笠原から1800キロも離れた千葉県の勝浦沖で漁船に救助された。
奇跡的に命拾いした水谷は、その後23人を引き連れて南鳥島に移住する。鰹漁やアホウドリの羽毛、鳥糞石(リン酸カリ)の採取が主な仕事だった。それがきっかけとなって、1898年に明治政府が南鳥島を小笠原諸島に組み入れ、正式に日本領土と制定したのである。
※週刊ポスト2012年9月7日号