尖閣諸島の領有権をめぐって、中国ではテロにも等しい半日暴動を起こすなど、大きな外交問題となっている。
中国は、日本が「日清戦争後に自国領土とした台湾と尖閣諸島」を“我が領土”と主張している。しかし、中国の「尖閣諸島は日本が清から略奪したもの」という主張は荒唐無稽といっていい。というのも歴史上、清が尖閣諸島を領有したことは一度もないのだ。国の体制が清から中国に変わっても、1970年代に至るまで、尖閣諸島の領有権を主張することはなかった。しかし――東海大学海洋学部教授で、東京都の尖閣諸島担当として尖閣諸島の調査にも参加した山田吉彦さんが解説する。
「1968年に国連の極東アジア経済委員会が、東シナ海に中東に匹敵するほどの石油資源が埋蔵されている可能性があるとの調査結果を報告しました。すると1971年に台湾と中国が突如、領有権を主張し始めたのです。要するに油田獲得が目的なのです」
実際、尖閣諸島の領有権が日本にあるのは明らかで、その証拠も複数ある。『日本人が行けない日本領土』(小社刊)の著書があるフォトジャーナリストの山本皓一さんの話。
「1919年、中国・福建省の漁船が難破して31人が魚釣島に漂着。島に住んでいた日本人が彼らを救助しました。この時、中華民国の長崎領事は島民に感謝状を送りましたが、その宛名には『大日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島』と記されていました。つまり、当時の中華民国は尖閣諸島が日本の領土だと明確に認めていたことがわかります」
さらに中国や台湾が1970年以前に発行していた中国の地図でも、尖閣諸島は日本の領土とされていた。
『ひと目でわかる日韓・日中 歴史の真実』(PHP研究所)の著書があるジャーナリストの水間政憲さんが語る。
「例えば1960年4月に北京市地図出版社が発行した『世界地図集』では、尖閣諸島が日本の領土として『魚釣島』『尖閣群島』と日本名で表記されています。中国の地図は皆国定ですから、中国が日本の領土だと認めていたことは明々白々です」
それが1970年以降の地図になると国境線が勝手に移動され、国境は尖閣諸島の東側へと、都合よく書き換えられていく。
それは台湾の地図でも同じ。1965年に発行された『世界地図集 第一冊 東亜諸国』のなかの、琉球群島と題された図版を見てわかるように、1965年の段階では明らかに日本領だと認識していた。
では、日清戦争後に日本の領土になったという指摘は正しいのか。実はそれも事実とは異なる。尖閣諸島に日本人が最初に足を踏み入れたのは、1884年のこと。福岡の実業家・古賀辰四郎氏が探検隊を派遣し、無人島であることを確認。1895年に日本が領有を決定したが、日清戦争以前にそもそも日本人が上陸していたもので、日清戦争とは無関係。
その後、古賀氏が日本政府から島を借り受けて開発を進め、カツオブシ工場と鳥の剥製工場を作った。最盛期には最大248人が島に住んでいたという。1932年には島は国から古賀氏に払い下げとなり、以降、島は個人の所有地になっていた。
※女性セブン2012年10月11日号