【書評】『現代エジプトを 知るための60章』(鈴木恵美 編著/明石書店/2100円)
【評者】山内昌之(明治大学特任教授)
エジプト人は、イメージと違って忍耐強く粘り強い人びとである。編者は、不公正な社会、低賃金、恐ろしい秘密警察などの逆境や理不尽さによく耐えてきたと指摘する。こうしたエジプトの個性を政治や経済だけでなく、生活や大衆文化にいたるまで幅広い分野を専門家が扱った案内書である。
古本屋で研究者は、探している本は手に入らない上、預けた金を取り戻すのに四苦八苦する。また、男だけの喫茶店(マクハー)で日がなおしゃべりや「バックギャモン」のゲームを楽しむ風景は、エジプトの街並みに欠かせないし、小説の舞台モデルにもなっている。観光客としてカイロに出掛ければ日本人もマクハーに出かけたくなるだろう。
エジプト人は本当にサッカーが大好きである。そのサポーターたちは、アラブの春の時も、デモ隊の主力として警察とぶつかった。いつもサッカーの試合で警官と衝突することに慣れていたからというのは、いかにもエジプトらしく面白い話である。
エジプト人に欠かせないのは、主食のパンであり、1枚1円以下で売られている。物価上昇率を考えるとおそろしく安い値段である。私がカイロにいた1978年から80年の時も1枚1円だったから信じられないほどだ。政府の補助金が投入されているために安いのである。値上げすると必ず暴動が起きるので正常な価格を設定できない。これが政府財政を圧迫し、失業者を公務員として吸収する無理な弥縫策と並んでエジプトを苦しめているのだ。
それでもエジプトは、1990年代の構造調整政策によって財政収支は少しずつ好転し経済成長も遂げている。しかし、政府の再分配政策は成功しておらず、国民の不満はほとんど解消されていない。
アラブの春によるムバーラク前大統領の失脚の背景を多面的に理解する上でも、有益な書物である。また、エジプト観光の洗練された案内書としても薦めたい良書である。
※週刊ポスト2012年10月26日号