少年鑑別所の常連だった、10代でスナックを経営していた、制服にドスを忍ばせていた……。尼崎連続怪死事件の中心人物・角田美代子被告は、10代の頃から現在に連なる凶悪性を宿していたように見える。
だが、角田被告の中学時代の担任男性N氏は意外なことをいった。
「性格はバンカラ。男勝りで気が強いんです。弱い者いじめをしたということもなかった」
N氏が担任だったのは角田被告の中学3年時。角田被告は当時から“問題児”として教師から恐れられていた。
「彼女がいるクラスは手に負えないからと、誰も担当したがらなかった。それなら生活指導主事だった僕がやりましょうと手を挙げたんです。問題は多かった子ですが、私はそこまで悪い印象を抱いていないんですよね」
ある朝、N氏が校門の前に立って服装チェックをしていると、門を閉めてから角田被告が現われた。N氏が「また遅刻か!」と怒って、彼女の頬を平手打ちで殴ったことがあったという。
「そうしたら、彼女は“親にも怒られたことがないのに……先生、ようどついてくれた”って感謝されてしまった。それから、いろいろなことを僕に相談してくれるようになったんです。父親が帰ってこないとか、家が貧しいことだとか……」
尼崎市で左官工の父と、元売れっ子芸者の母のもとに生まれた角田被告。父親についてはN氏に、「父親は(遊郭があった)築地に入り浸りで、帰ってこうへんねん」とこぼしていたという。
「私に、『先生、築地のビール1本、なんぼか知ってるか?』と聞くなど、大人びたところがありましたね。母親は放任主義で、お母さんに意見をしても『うちの子供に言うても聞きませんねん。先生から言うてください』という調子。両親の愛に恵まれていなかったんだと思います」
中学卒業後、角田被告は女子高に進学。しかし、1学期で中退するや小中の同級生と結婚したという。しかし半年しか持たなかった。
同学年より早く、社会人となった角田被告だが、N氏との関係は続いた。
「僕はあの子が卒業した10数年後に教職を辞め、県会議員になったんです。2期目の選挙の時には『先生頑張って』と、事務所に一升瓶を持ってきたことがありました。女の子は結婚を経験したら、こんなに女性っぽくなるんかと驚きました」
さらに20年ほど後。またしても角田被告はN氏のもとを訪れた。ただし、その頃の角田被告には、中学時代の面影はなかったという。
「突然、私のもとを訪れて『息子の教育相談に乗ってほしい。頼むわ』と。どうやら中学に通っている彼女の息子が出席日数の関係で卒業が危ぶまれていたみたいです。僕は議員として県民相談のひとつと思って学校へ行った。校長と担任に会って直談判しました」
N氏の働きかけもあって息子は無事卒業。しかし、角田被告がお礼に現われることはなかった。
※週刊ポスト2012年11月9日号