今年10月に肺カルチノイドで急逝した流通ジャーナリスト・金子哲雄さん(享年41)が、最後の力を振り絞って書き上げた著書『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(小学館)が、11月22日に出版される。
病気が発覚したのは、2011年6月のことだった。以前から顔のむくみと喘息に似た咳に悩まされていた金子さんは、近所のクリニックで検査を行った。以下、著書から引用する(〈〉内、著書より)。
〈6月6日、私はクリニックに呼ばれた。
ドクターは私の顔を見るなり、表情を変えずに告げた。
「単刀直入に言うと、末期の肺がんです。木曜日、がん専門病院を予約しましたから。呼吸器内科に紹介状も書いておきました」
全身から力が抜けていくのがわかった。膝に力が入らない。
「末期の肺がん」という言葉が、何度も頭の中で響いた。
「俺、死んじゃうんだ」〉
さらなる精密検査の結果、金子さんがかかっていたのは、がんに似た「肺カルチノイド」という病気であることが判明する。がん同様、悪性の腫瘍が体をむしばんで行く病気だが、10万人に1人という難病で、臨床例も少ない。がんと同様の治療方法がとられるが、進行している分、がんより難しい腫瘍といえた。
〈私の場合、9センチサイズの腫瘍が肺にできていて、それが気管を圧迫していた。いわば窒息寸前の状態だ。
「この腫瘍がもし、がんだったらすでにこの世にいません」
幸か不幸か、肺カルチノイドであったことが、私をここまで生きながらえさせていたというのだ〉
金子さんは匙を投げた格好のその病院から、セカンドオピニオンをすすめられる。だが、治療法がないとされるタイプのカルチノイドである金子さんは、名のある病院や大学病院から門前払いのような対応をされたという。
最後に頼ったのが、大阪にある血管内治療の専門病院、ゲートタワーIGTクリニックの堀信一院長だった。
〈堀先生の第一声を私は忘れない。
「咳、おつらかったでしょう」
私の顔をじっと見て、患者の立場になって声をかけてくださったのだ。その瞬間、私は号泣していた〉
金子さんは初めて、モノではなく人間として対応されたと感じたのだ。IGTクリニックでは、血管内にカテーテルを挿入してがんの患部の直近まで通し、がん細胞に栄養が届かないように塞栓剤を注入したり、患部に直接、少量の抗がん剤を投与する血管内手術を行っていた。この手術を受けた結果、腫瘍は3分の1の大きさになり、気管圧迫による窒息死の危険は回避された。
※女性セブン2012年11月29日・12月6日号