いわゆる“行き倒れ”は法律上「行旅死亡人」と呼ばれ、官報に載って引き取り手を待つこの死亡者が急増している。死後4日以上で発見される65歳以上は年間およそ1万5000人。死後に残された骨や墓の問題に作家の山藤章一郎氏が迫った。
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死ねばみな〈1個〉。だが現実には、骨、魂の行方に思い悩む人が増え続けている。孤独死ではなく、普通の死で頭を抱えている人の例を以下、挙げる。
●累代の墓は田舎にある。東京の私は頻繁に参りに行けぬ。すでに荒れ放題。墓を東京に持ってこられるか。手続きは? 費用は?
●東京でひとりで生きている。実家とは絶縁状態。死んだら私の骨は誰に処理され、どこに行くのか。
●収入300万円で100万もする墓は買えない。墓など、要らぬ。誰にも迷惑をかけたくない。
●永代供養とはなにか。
●出身地は北と南、はるかに離れている一人っ子同士の夫と妻。両家の墓を一緒にできるのか。
通常、墓はいったいいくらか。安いのは、どう手に入れるのか。現在、東京郊外の山中、民間霊園は100万円で売り出す。寺院墓地なら、その倍ほど。都立の墓地は高いところで10数倍の競争率で現状、空きはない。値段は、3平方メートル、〈多磨霊園〉で272万、〈青山霊園〉が831万円。〈お墓問題研究所〉宮浦孝明代表。
「墓に入れない遺骨は、ただの産業廃棄物です。〈団塊〉が大量退職する時代に入り、社会とのつながりがなくなる。やがてさらに高齢となって墓の心配に迫られる。すると目の前に、おカネ、手続きのほか、たとえば、彫る〈家名〉をどうするか、〈永代供養〉にするかなど次々と問題が発生します。〈家名〉ではなく〈感謝〉〈絆〉に。墓地など買わず、安いロッカー納骨の〈永代供養墓〉にと。死ぬ前にやっておかなければならないことは多いのです」
※週刊ポスト2012年11月30日号