「日本未来の党」の代表として注目を浴びる、嘉田由紀子滋賀県知事(62才)。とはいえ、国政経験がなく、目立ったメディア出演歴もない嘉田知事に「この人、誰?」と感じている人も多いのではないか。
嘉田知事は1950年、埼玉県本庄市の養蚕農家に生まれた。父親は本庄市議を3期務め、兄1人、姉1人の3人きょうだいの末っ子。今も本庄市に住む実兄の渡辺征夫さん(68才)が、嘉田知事の幼少期を振り返る。
「家には、祖父母や叔父、叔母など12人が同居していました。由紀子は男の子とケンカはするし、木にも登るお転婆娘。農地は2町5反(約2万5000平方メートル)もあり、食事の用意や畑仕事、蚕の世話、洗濯などで、朝から晩まで働く母親の背中を見て育ったので、家の手伝いも一生懸命していました」
伝記で読んだ『キュリー夫人』に憧れ、学業にも熱心だったが、祖父は「女に教育はいらない」という昔気質の考え。読書や勉強に打ち込むのは、井戸水を汲んだり、かまどに薪をくべたりする家の仕事を終えた後の夜遅くだった。
「どうして女性ばかりが大変な思いをするのか…」
その反骨心が原点となり、後の人生に大きく影響する。熊谷女子高で生徒会長を務め、京都大学農学部に入学。家族の目を離れると、“男勝り”の性格に拍車がかかった。当時、女人禁制だった探険部に入部し、3回生の時、単身でアフリカのタンザニアに向かったのだ。
嘉田知事と20年以上の親交があり、現在は滋賀県の地元誌『M・O・H通信』の編集長である辻村琴美さんが言う。
「電気も水道もないタンザニアの村で半年間暮らした話をよく聞かせてもらいました。トイレもなく、女性も男性のように立って用を足すようで、嘉田さんが『私も立ってできるのよ』と中腰になり身振り手振りで“再現”したこともありますよ(笑い)」
京大大学院に進学後、2期上だった探険部リーダーの嘉田良平さん(64才)と学生結婚(2008年5月に離婚)。ふたりの男の子をもうけた。
大学院時代から研究まっしぐらで、滋賀県琵琶湖研究所職員や京都精華大学教授などを歴任。この間、子供たちを夫の両親に預けて研究に没頭、子供と顔を合わせるのは週末だけという時期もあった。京都精華大学時代の教え子が嘉田知事の素顔を語る。
「すごくオープンで正直に何でも話してくれるかた。学生のお母さん的存在で“嘉田ママ”と呼ばれていました。学生の恋愛話に首を突っ込み、『あの子とあの子、くっついて今どうなん?』なんて聞いたり、『彼女ができない』と相談した男子学生に『まずはひとり暮らししなきゃダメよ。だって連れ込めないじゃない!』とアドバイスしたことも」
※女性セブン2012年12月20日号