肩甲骨を動かすだけ、というシンプルなダイエット法が評判となっているGETTAMAN(ゲッタマン)。芸能人や経営者の「ココロとカラダのデザイン」を手がけ、個人レッスンは3年待ち、著作の累計は48万部にまでなっているという。彼はいったいどんな人物なのだろうか?
“ゲッタマン”こと竹之内敏は1965年、鹿児島県の屋久島で生まれ育ち、鹿児島県内の大学に進学。教師を志すも、当時つきあっていた年上の彼女も教師で、「あなたみたいなタイプは、教師より新しいところで働いたほうがいい」とNTTを勧められる。
大学を卒業する1987年は、折しも日本電信電話公社(電電公社)が民営化されNTTになって間もないころ。就職先として大人気だったが、ゲッタマンは見事採用試験に合格。“社長コース”といわれる労働部へ配属されエリートコースを歩むも、本人は自分の適性とは違う仕事に悩んでいた。
そんなある日、ゲッタマンは雑誌でトライアスロン大会の参加者募集を目にする。どんな競技かさえよく知らなかったが、「名前の響きがカッコイイ」と参加を決意。事前の練習も一切せず、大会へ向かった。
「その大会には、トライアスロンのプロで全国2位の選手も参加していたんですが、なんと私が優勝してしまったんですよ!」(ゲッタマン、以下同)
トライアスリートとして注目を浴び、雑誌でも取り上げられるようになったゲッタマン。その雑誌を見た上司に「おまえは、こういう世界に行きたいのか?」と聞かれ、「ぜひ、行きたいです!」と即答。NTTのグループ企業が運営するフィットネスクラブの支配人として出向することに。
志はある、トライアスロンの実績もある。とはいえ、スポーツについてきちんと勉強したことなど皆無。ましてフィットネスクラブを運営するノウハウなど全く持っていなかった。
そこで月曜から土曜までフィットネスクラブに寝袋で泊まり込み、体の仕組みについての勉強からスタート。トレーナーたちの話にもじっくり耳を傾けて、顧客獲得に奮闘。気づけば3年間で売り上げを約8倍に伸ばしていた。
「退会率が3割もあったので、3%にまで下げました。最初は“なんだ、こいつ”という様子だったトレーナーたちも、待遇改善に尽力しているうちに協力的に。ところが、今度はNTTグループ社員の待遇を一律にしようという体制になってしまい、せっかく上がったスタッフの給料がまた下がっちゃったんです」
本社に戻るか、スタッフのためにいっそ独立するか。再び人生の岐路に立ったゲッタマン。運命を託したのは、なぜか“UFO”だった。
「出張先のビルの屋上で青空を見上げていて、ふとUFOが出たら独立しようと決めました。当然、UFOが出るはずはない(笑い)。“やっぱり独立なんて無理か”と帰路につきました。ところが、東京に戻ってきて駅の改札を出て歩きだしたら、『お母さん、UFOが出た!』っていう子供の声が。実際はヘリか何かだったと思うんですけど、“これは独立するしかない!”と心に決めました」
在籍していたフィットネスクラブの業務委託先として独立を模索するが、これまで社員として出向していたのだから簡単に認められるはずもない。それでも何度もNTT上層部にかけあい、粘り強く交渉。そして2001年、ついに内部独立にこぎつけたのだった。
「当時のNTT社長が『きみは非常識な人間だ。でもその非常識なことを心地よく提供できる稀有な人間だ。きみはきみの道をずっと行きなさい』と言ってくれたんです。本当に感謝しています」
何度もトライして、否定され続けながらも独立を諦めなかったのは、「屋久島のDNA」だとゲッタマンは語る。
「屋久島の厳しい自然の中で身についた気骨かな。トライアスロンにいきなり出て優勝したのも、知らないうちに自然の中で鍛えられていたからだと思います」
※女性セブン2012年12月20日号