各界の識者に日本史上最高のリーダーというテーマで「週刊ポスト」がとった緊急アンケート。ここで、山本博文・東京大学大学院教授は主君浅野長矩の仇討ちのため、元禄15年12月15日未明に江戸の吉良邸へ討ち入りした播磨国赤穂藩の筆頭家老、大石内蔵助をあげている。なぜ、大石こそ史上最高なのか、山本教授が解説した。
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大石内蔵助はもと赤穂藩筆頭家老である。元禄15年12月14日(実際は15日未明)、主君浅野内匠頭の仇吉良上野介邸に討ち入りして、吉良の首を取った。主君の切腹から1年9か月もの時間がたっていた。
大石がまず目指したのは、主君の弟浅野大学による御家再興と吉良への処分の嘆願である。しかし、武士の面子のためには吉良を討つことこそが必要だとして、大石を激しく突き上る者も少なくなかった。
大石は、急進派を押さえるため同志を江戸に送り、自身も江戸に出て急進派をなだめ、寓居とした京都・山科に帰ってからも、同志を江戸に送って吉良邸の様子を探らせた。そして御家再興の望みが断たれると、上方在住の同志をまとめて江戸に下り、吉良が在宅する日をつきとめて討ち入りに成功した。
藩の財産を処分し藩士たちに分配した残り金の使途を書き留めた『金銀請払帳』を見ると、大石が、急進派を押さえ、浪人生活の中で困窮する旧藩士たちの生活援助を行ない、47人もの同志を繋ぎ止めて、ついに本懐を遂げた苦労が手に取るようにわかる。さまざまな困難を乗り越えて目的を達成した大石は、「日本史上最高のリーダー」とするにふさわしい人物である。
※週刊ポスト2012年12月21・28日号