TBS系ドラマ『ゴーイング マイ ホーム』で16年ぶりに主演を務めた山口智子(48才)。家族の絆を描いたこのドラマだが、山口の私生活においても、絆を再構築する出来事があった。
小学1年生のときに両親が離婚している山口。このとき、山口は父に引き取られ、3才年下の妹は母に引き取られた。そして、旅館を切り盛りする祖母のもとで育った山口は、20才の時に祖母の養子となった。
その後、山口は1995年に唐沢寿明と結婚。しばらく経つと父も再婚し、継母が旅館の女将となり祖母の跡を継いだ。
そして、転機が訪れたのは2005年5月。突然、父が他界してしまったのだ。山口の祖母がこう振り返る。
「せがれが亡くなって、(山口の母から)“娘(山口の妹)にお線香をあげさせてください”と電話がかかってきたんです。私はそれで“どうぞ来てください”と言って。それで妹がお線香をあげに来たんですよ。
そこで妹と智子が再会して。妹は子供の頃の顔とちっとも変わってなかったですね。“昔と同じような顔してるわね”なんて言って、みんなでなんだか笑っちゃって。その時、私は妹に“きょうだいなんだから仲よくつきあったほうがいいよ”と言ったんです。それから、妹がときどき智子のところへ遊びに行くようになったんですよ」
山口にとって、実にそれが妹との34年ぶりの再会だった。そしてそれをきっかけに、17年前に無言で行き交わした母とも和解し、交流が始まったという。
「山口さんの妹さんはお母さんと一緒に都内で暮らしていたんです。はじめはやっぱり長年のわだかまりがあって、山口さんもお母さんも積極的に会おうとはしなかったそうなんですが、妹さんが上手に橋渡しの役割を果たしたそうです」(別の山口家を知る人)
2007年に、妹と都内にセレクトショップ『燕子花』をオープンさせた山口は、翌2008年には個人会社の代表取締役に母を就任させた。そして、母と妹が暮らすには少し狭かったマンションの引っ越しを手伝い、都内に3LDK、家賃20万円の部屋を借りてあげた。
こうしてゆっくりと母との絆を取り戻していった山口。しかしそのころ、今度は栃木の実家では新たな問題が起きていた。
「山口さんのお父さんが亡くなった後、継母がおばあちゃんの面倒を見る形で一緒に暮らしていたんですが、2年前に、その継母が脳梗塞で倒れてしまったんです。それで継母は故郷に帰ってしまって。
おばあちゃんは年齢の割に元気な人なので、ひとり暮らしでも問題なかったんですが、半年くらい前だったかな、骨折して入院してしまったんです。山口さんはおばあちゃんの介護のために、よく栃木に帰ってきていましたよ」(前出・山口家を知る人)
※女性セブン2013年1月10・17日号