「1000年前の新羅の礼法がそのまま取り入れられた」「高麗の茶道が深くかかわったもの」――日本の「茶道」についてそう主張する記事が韓国系メディアに掲載されている。しかし、そうした主張はいわば「横やり」だという。遠州流茶道を研究する安藤宗良氏が語る。
「茶道で用いる抹茶は禅宗とともに中国から伝わったものです。臨済宗を日本に伝えた栄西が13世紀前半に著わした『喫茶養生記』にはその苦みが心臓を強くし、茶を飲んで養生することが肝要であると書かれている。また、茶葉を粉状にしてすべて喫する抹茶には、『もったいない』という慎ましやかな禅宗の教えが生きています」
それは、茶道を大成した室町時代中期の茶人・村田珠光が始めた「茶室」の中にも見ることができる。
「例えば床の間は、禅僧であった珠光が墨跡(高僧の筆跡、掛け軸の一種)をかけるために座を一段高くしたものです。墨跡は高僧自身と同じように敬われることから、掛け軸の表装は高僧に着ていただく着物であり、御袈裟を表わしている。およそ四畳半という空間は、禅寺の住職の住まいを意味する『方丈』(一丈四方の居室)に由来しています」(安藤氏)
茶室の設えは、日本家屋の特徴として現代に受け継がれている。家族が集って食事や団欒する部屋を指す「茶の間」という言葉も、茶道に起源を見ることができる。
当初、禅宗の影響が色濃かった茶道は、やがて日本文化として花開く。それは、床の間の掛け軸に初めて「和歌」を用いた武野紹鴎をもって嚆矢とする。
「歌を詠ずる時の心構えである創意工夫や温故知新は、禅の精神に通じます。紹鴎が墨跡に替えて用いた和歌は、湿気のある日本の気候風土に根付いた日本人の心です。禅宗を精神的な裏付けにしながら、大陸の乾燥した風土にはない情緒が合わさって茶道は『日本化』したと言えます」(安藤氏)
※SAPIO2013年1月号