厚労省が2012月6日に発表した最新の調査でも、日本人の死因のトップはやはり「がん」だった。しかし、医師に告げられた数か月という余命や、再発や転移といった絶望的な状況を乗り越え生きている人たちもいる。彼らはどのように病と向き合ってきたのだろうか。元プロボクサーのカシアス内藤氏はこう語る。
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元東洋ミドル級王者・カシアス内藤氏は、2004年に咽頭がんの診断を受けた。発見時でステージ4。
「放っておけば、余命は3か月。手術をすれば延命はできるが、声帯の付け根にあるがんを取り除けば、声が出なくなる可能性があるということでした」
絶対に声を失うわけにはいかない――。内藤氏は誰にも相談せず即座に、手術はしないと決断する。恩師である伝説の名トレーナー、エディ・タウンゼント氏と、「いつか自分のジムを作ってチャンピオンを出す」と約束を交わしていたからだ。
「声が出なければボクシングを教えることはできないんです。その瞬間に指導せず、後から筆談で伝えても身体が覚えない。チャンピオンになれるような強い子は育ちません。エディさんの志や教えを、なんとしても次世代へ引き継ぎたかった。墓前に『負けないよ』と誓いました」
医師が内藤氏に勧めたのは、根治は目指せないが、「がんをうんと小さくして共存する」放射線化学療法だった。
「ボクシングでいえば共存はドロー。僕はチャンピオンだったから、ドローなら勝ちという感覚があった。“がん”という敵が明確だったことも、僕には幸いだったのかもしれません」
アリスの名曲『チャンピオン』のモデルでもある彼は、治療にもボクシングスタイルで果敢に挑んだ。放射線治療で喉が焼けただれ、唾液を分泌する部分も焼かれたが、体力維持のために痛みをおして間食を続けた。25回に及ぶ放射線照射に耐え、がんは4分の1以下に縮小された。退院後8か月で「E&Jカシアス・ボクシングジム」を開設。がんの告知から、ちょうど1年。恩師の命日に夢を叶えた。
「余命3か月といわれたのが、8年生きている。退院後3年くらいまでは抗がん剤が処方されていましたが、実はほとんど飲んでいません。人間の免疫力は捨てたものじゃないですよ。ただし僕のがんは、切除したわけでも死滅したわけでもない。
休眠中というか、小康状態。先生にも『明日、目が覚めないかもしれないよ』といわれるけど、ボクシングの夢があるから病気のことは忘れられるし、がんの進行を気持ちが止めているんだと思う。僕が死ぬまでじっとしていてほしいと願っています」
※週刊ポスト2013年1月1・11日号