東京都内屈指のランニングスポット、皇居(1周約5キロ)では、深夜でも走るランナーの息づかいが絶えることはない。今や空前のランニングブーム。東京マラソンの応募者は30万人を超え、週1回以上ランニングを楽しむ愛好者は約530万人にも達し、ウォーキング愛好者も含めた潜在的なランナー人口は2000万人を超えるという。
ランナーは、走ることが楽しくなれば、自らの走りの情報を求める。正確な走行距離は? 走行ピッチは? 日々の走行ルートは? そうした願望に応える情報機器が欲しくなるのだ。
8月に発売されたエプソンのランニング機器『リスタブルGPS SS-700S』は、そんな自らの走りをより正確に把握しようと考えるランナーの心を捉え、品薄状態が続くヒットを記録している。
開発を担当したのは同社の近藤豊。フルマラソンにも参加するほどのランニング愛好者だ。
開発のスタートは2006年。ライバルメーカーがGPS内蔵のスポーツウオッチを発売した頃に遡る。近藤が振り返る。
「バッテリーの駆動時間が約2時間。GPS機能の精度も低かった。うちの技術を使えばもっとハイスペックのものを作れると思いました」
2009年、有志による開発を密かにスタートした。
「お前みたいなのがいるから赤字になるんだ」
会社の上層部から半ば冗談で声をかけられるほど、同社の「時計作りのDNA」を受け継いだ近藤だ。勝算はあった。
ライバル社の製品のバッテリー駆動時間は約4時間。GPSの精度も周囲にビルや山があれば落ちた。これではランナーのストレスになる。近藤の檄に応じ、自らにランニングを課していた担当者も思いは同じ。配線の見直し、最新のプロセス導入など試行錯誤の末、半年で目途がついた。
2011年3月、その時期を見透かしたように近藤らウオッチ事業部の開発チームが碓井稔社長に呼びだされる。
「君たちから報告はないが、きっと何かを進めていたはずだ。話を聞かせて欲しい」
近藤は密かに進めていた開発の成果を説明した。
「私たちは低消費電力のチップを開発しました。2年前に比べ5分の1も低い。これで小型軽量、かつ高精度なGPS内蔵ウオッチが商品化可能です」
30分程度の予定が1時間をすぎても近藤の話は終わらなかった。碓井は話を遮ることなく近藤の話に耳を傾けた。話を終えると碓井は一言こういった。
「これは確かにうちだけの技術か?」
「もちろんです。ただし、もっと詰めるために現状では人材は不足しています」
そう答える近藤に碓井は商品化のGOサインを即決したうえにこう付け加えた。
「商品はエプソンブランドで出そう」
エプソンでは、時計は「セイコー」ブランドとして開発していたが、この商品は、時計ではなく情報機器として展開するため、「エプソン」ブランドとして発売することに決めた。
■取材・構成/中沢雄二
※週刊ポスト2013年1月1・11日号