危機の時代には、組織や地位に頼らず生きていかなくてはならない。その時、「ケンカ」こそが必要だとジャーナリスト・落合信彦氏は指摘する。それはもちろん、殴り合いをしろということではない。ここでいうケンカとは叡智、判断力、情報力、対人力、リスク・テイキングなどのぶつかり合いだという。落合氏がケンカ音痴の日本に問題提起する。
* * *
戦後の復興期にはケンカのできる日本人がビジネス界にも多くいた。ソニー創業者の一人である盛田昭夫は、トランジスタラジオをアメリカに売り込んだ時、現地の企業から10万個の発注を受けた。
毎日ニューヨークの安宿からポテンシャル・バイヤーを求めて色々な企業を訪れていた盛田にとっては、よだれが出るような話だった。しかし、盛田はそのオファーを蹴った。
その商品をソニーのロゴではなく彼らのロゴで売ることに相手が固執したからだ。非常に大きなリスクテイクだが、下請けになることよりも自社ブランドを育てることを選択したのだ。誇りの問題だけでなく、いずれ自社を、世界のソニーにするという執念と野望があったのだろう。
その後、「SONY」が世界的なブランドになったことからわかるように、このケンカに盛田は勝った。自らの商品に価値があることがわかっていたからこそ、他社のロゴで売り出すという妥協をしなかったのだ。
失うもののなかった戦後の日本では多くの人が果敢にリスクを取り、結果として国が栄えた。現代の日本も、もはや守るべきものはなくなったのだから、もっとリスクを取らなければならない。
この国の唯一最大の武器は人材だ。一度や二度の敗北ならいくらでもやり直しができる。ケンカを避けた結果、何のスキルもないまま荒れた海に放り出される事態を防ぐためにも、ケンカを厭わないたくましいメンタリティを体得してもらいたい。楽な生き方ではないが、危機の時代を生き残るただ一つの方法論だと私は考える。
※SAPIO2013年1月号