北海道発のローカルバラエティー番組、しかもレギュラー放送終了から10年も経つのに、いまなお全国区の人気を誇る「水曜どうでしょう」。その生みの親であるディレクターの“藤やん”こと藤村忠寿氏(現・北海道テレビ放送エグゼクティブディレクター)は、現在もテレビドラマや舞台の演出、講演会や著書の執筆など多忙な日々を送る。
2013年元旦――。新年を迎えた藤やんが語るのは、日本の国家的役割について。もちろん、多くのファンが待ちわびる「水どう」の使命も果たそうと、新作への抱負を聞かせてくれた。
* * *
2013年の年が明けました。今年、家族に、会社に、日本に、平和な日々が続けば良いなと思います。
昨年、もう年も終わろうかとしている時に、衆議院の総選挙が行われました。その結果「国防軍創設」を標榜する政党が圧倒的支持を得て日本の政権を勝ち取りました。
4年前に撮影したドラマ「歓喜の歌」がドイツの映像祭で賞を取り、ハンブルグで行われた授賞式でスピーチをしたことがあります。そこで私は、こんなことを言いました。
「私は20時間かけて日本の北海道という最北の地から来ました。私が初めて演出したドラマにドイツの方々が賞を与えてくれたからです。やっぱりドイツは60年前から我々日本人の友人だったんですね。今日はアメリカ人もいないので、思いっきり楽しみましょう!」
その瞬間、それまで静かだった会場内のドイツ人たちが拳を振り上げて立ち上がり、ものすごい拍手を送ってくれました。壇上を降りて席に戻るまでの間に何人ものドイツ人に握手を求められ、トイレに行っても隣で用を足してるドイツ人たちが私に向かってガッツポーズをしていました。
これはなにも、私があの忌まわしい戦争を賛美して言った言葉ではありません。ドイツ人は今でも「ナチス」「ユダヤ」「アウシュビッツ」という言葉にはとても敏感で、それはタブーであると現地の人に聞きました。だからこそ彼らは今、「環境先進国」という平和的な道で今度は世界のトップに立とうとしています。
でも、だからこそ私は、目の前にいるドイツ人のクリエイターたちにこの言葉を言いたかったのです。とてつもなく重い十字架を背負うことになってしまった彼らに対して、同じように戦争で拭いきれない数々の十字架を背負ってしまった日本人として、私なりにかけてあげられる言葉として、それを言いたかったのです。
十字架を背負い続けるのは、とても苦しいことです。きっとどっかで、その十字架を捨て去りたくなる時が来るんです。「ナチス」も「原爆」も、すべてを過去のものとして葬り去りたくなる時が来る。でも、そうならないために、背負っている荷物を、たまに、ちょっとだけ降ろして休むことも必要だと思うのです。
「今日はアメリカ人もいないので、今夜だけは特別に、過去の痛ましい出来事を忘れて、その昔、自分の祖父母たちが一緒に戦った仲間として一緒に飲もう」と。
だって、ドイツと日本が「ナチス」も「原爆」も捨て去ってしまったら、世界中のタガが外れてしまうと思うのです。戦争の抑止力は、決して「核兵器」なんかではなく、敗戦国から世界のトップクラスの科学技術を持つ国へと成長を遂げた、ドイツと日本という「国家のあり方」だと思うのです。
我々はもう二度と、戦争の発端となるような国家であってはならない。そのためにちょっとだけ荷を下ろして、一杯飲んだら、あらためて「さぁ行くぞ!」と、重い十字架を背負ってこれからも歩き続けることが、ドイツと日本の国家的役割だと思うのです。
2013年の日本は「戦争の放棄」を明示した憲法を捨て去る国家になるのでしょうか。世界で唯一の被爆国でありながら、原発を再稼働させ、これからも原子力に頼る国家になるのでしょうか。ドイツはもう、原発の廃止を決めました。
さて、ひょんなことから書き始めたこちらのコラム一旦お休み。では最後に、「水曜どうでしょう」の2013年についてお話しておきましょう。まずは、8年ぶりとなる「水曜どうでしょう祭」を開催いたします。全国からどうでしょう好きが集まって、誰はばかることなくどうでしょうの世界にどっぷりと浸る3日間。準備は着々と進んでいます。
そして、2年ぶりの新作も撮影予定です。番組開始当初、大学生だった大泉洋は四十を迎え、鈴井貴之は五十です。それぞれ年は重ねましたが「まだまだ無理しましょうよ!」と、先日鈴井さんと飲んだ時に言いました。ロケの時期はまだ未定ですが、必ずや! テレビの前のみなさんに、地球のどこかで、四十代、五十代のおっさん4人が、罵り合いながら旅をする姿をお見せできることと思います。
再会を楽しみにしております。じゃじゃじゃじゃじゃあじゃあ、テレビの前でお会いいたしましょう!
【藤村忠寿/ふじむら・ただひさ】
1965年愛知県出身。90年に北海道テレビ放送(HTB)に入社後、編成業務やCM営業に携わり、1995年に本社制作部に異動。1996年チーフディレクターとして「水曜どうでしょう」を立ち上げ、出演者の鈴井貴之、大泉洋らとともに自身もナレーターとして出演。同番組は2002年にレギュラー放送を終了したが、その後も道内のみならず全国的に絶大な支持を集め、番組DVDシリーズは累計200万枚以上を売る大ヒット更新中。