「小さい頃から、自分の体に睾丸があることに違和感がありました」
30歳になる直前の2010年4月に睾丸を取る去勢手術をし、公の場でもカミングアウトをした歌手の麻倉ケイトさん(32)は、保育園のときから自身が男であることに疑問を持っていた。
「男として生まれてきたけど、徐々に女に変わっていく。本気でそう信じていました。とにかく睾丸があることがイヤでした。座って足を組むと、足と足のあいだに睾丸が挟まれますよね。普通の男性であれば、気にならないと思うんです。でも、私はすごくイヤでした。自転車に乗るときも、必ずサドルに睾丸が当たる。なんで私には睾丸があるのだろう。疑問だらけでした」(麻倉さん、以下「」内同)
小学生になっても、中学生になっても、その想いは変わらなかった。
「でも、周りは『もっと男らしくしろ』と、常に男であることを要求してきます。私も自分の気持ちにウソをついて、女性を好きになろうとしたことがあります。しかし、それは土台、無理な話でした。
それ以前に、体育の授業前に着替えの時間になると、みんなに見られている気がして、恥ずかしくなるのです。だから、みんなが校庭に出た後、ゆっくりと着替え始めていました。今思えば、単なる自意識過剰なのですが、自分のことを女子だと思っていたので、恥ずかしかったのです」
いわゆる性同一性障害者だったが、麻倉さんが幼少期を過ごした1980年代は、まだ一般的に認知されていなかった。
「時が経つに連れ、世間にも『性同一性障害』が浸透していきましたが、去勢手術はもちろん、なかなかカミングアウトをする勇気は持てませんでした。でも、周囲から何をいわれても、『私は私』という開き直りも必要だと感じたのです。
去勢手術の1年前から、ホルモン治療を始めるなどの準備をして、ようやく睾丸を除去しました。そのときは、29年間溜め込んできた心のモヤモヤが一気に解消されて、本当にスッキリしましたね。『女性として生きていく』と決めたことで、ものすごく心が軽くなったのです」
麻倉さんは、「同じような悩みを持つ人はたくさんいるはず。少しでも支えになれば」と、自伝『五十六億七千万』(光文社刊)を著した。
「手術をしてくれた先生は、『女性として生き生きと暮らしていくことで、同じような悩みを持つ人たちの励みになるように生きてください』と話してくれました。世の中には、性同一性障害に対し、まだまだ差別的な見方をする人がいるのも事実です。そのような偏見を取り除くためにも、私は明るく元気に活動していきたいと思っています」