韓流と言えば、映画や音楽などを思い浮かべる人が多いだろう。それらは韓国政府がバックアップし、国家プロジェクトとして海外への普及を行なっていることもよく知られている。
だが、韓流普及活動は現代の芸能にとどまらない。なんとその一つに「折り紙」がある。
2012年10月10日の中央日報に「モンゴルに広まる“折り紙韓流”…『宗主国は日本でなく韓国』」と題する記事が掲載された。記事では韓国の折り紙関連団体の一つ「紙文化財団」が、モンゴル・ウランバートル大学で「折り紙講師」資格取得のための講座を開いた様子がリポートされている。
同財団のイ・ジュンソ事務所長は本誌取材に対し「折り紙の世界化運動」について「折り紙と紙文化を軸に国家間の文化交流と友好を拡大するもの」と説明する。
問題は、同記事に書かれた次の一節にある。
「韓国でも864年に道銑国師が折り鶴を投げて落ちた地点に玉竜寺を創建したという話が伝えられるなど、伝統では決して劣っていない。むしろ610年に高句麗の僧侶・曇懲が紙を日本に伝える時、折り紙も渡ったと推定される」
しかし、「そのような史実を示す資料があるなら提示してほしいですね」と戸惑いがちに語るのは、世界7か国語で折り紙の普及サイトを運営し、第一人者として知られる折り紙作家の新宮文明氏だ。
新宮氏によれば、日本の折り紙の伝統を辿ると『秘傳千羽鶴折形』に行きあたる。江戸時代後期の1797年に刊行された書物で、折り鶴、特に連鶴を折る方法が図解されている。現存する遊戯折り紙の書物としては世界最古とされるものだ。件の中央日報記事が正しいとすれば、折り鶴の歴史を覆す発見となるが、それを証明する史料は今のところ出てきていない。
もちろん日本の折り紙の起源は江戸時代よりもさらに遡る。新宮氏が解説する。
「折り紙のルーツには日本の歴史が密接に関わっています。遊戯折り紙よりもさらに古い『儀礼折り紙』の伝統を見逃してはなりません」
大陸から高句麗を経て「紙」が伝わって以来、紙漉きの技術は日本独自の進歩を遂げた。今日に伝わる薄いが破れにくく、張りのある和紙の発明だ。たたむと折り筋が生きて様々な形に折ることができる。
「和紙の用途が多様化するにつれ、平安時代頃から公家の間で贈答品などを紙で包む風習が始まったとされています。鎌倉期には京の朝廷と幕府の間で頻繁なやり取りがあったことから礼法が形づくられ、包みの風習が儀式化されます。室町時代になり、武家の間で包みの礼法(儀礼折り紙)がさらに広がったと考えられます」(新宮氏)
例えば太刀を贈るとき、目録に銘や作者名を記入したことから生まれた言葉に「折り紙付き」がある。現在でも、由緒が確かなことを形容する言葉だ。
鎌倉期に遡る「儀礼折り紙」のしきたりと、江戸期以降に見られる折り鶴に代表される「遊戯折り紙」の2つが、日本文化である折り紙の起源と言える。そして、折り紙文化が育まれた背景には優れた和紙が欠かせなかった。
※SAPIO2013年1月号