現在、もっとも“視聴率の稼げる女優“として、バラエティー番組で活躍する女優・淡路恵子(79才)。1933年7月、海軍の軍人を父に、助産師を母に東京に生まれた。本名は井田綾子という。女学校在学中に見た舞台にあこがれ、1948年に松竹歌劇団(SKD)の養成学校である松竹音楽舞踊学校に入学した。
入学後まもなく、黒澤明監督に抜擢され、映画『野良犬』でデビュー。もうすぐ65年になろうとする淡路の女優人生が始まった。
その後、松竹の専属となるが、彫りの深い日本人離れした顔立ちと、文豪・谷崎潤一郎らもたたえた脚の美しさとでまたたく間に看板女優となった。
「でも、一連のメロドラマっていうのが、嫌で嫌でたまらなかった。なよなよ、めそめそ泣いてばっかりいる主演というのが。そういう女を泣かす、不幸にしてやるために暗躍する女の役こそ、私には合っているのに」
仕事に恵まれ、有頂天になってもいい20才のころに、「メロドラマの主演は美女がやるもの。面白い顔の私にはできない」とわきまえていたと笑う。
やがて東宝に移籍し、“念願通り”正妻をおびやかす二号さんや、バーのマダム役で生き生きと活躍する。
女優としては実に順調な道が続いていた。しかし、一方ではドラマ以上に波乱に富む人生が待ち受けていた。最初の結婚は20才のとき。相手は日本で活動していたフィリピン人の歌手、ビンボー・ダナオさん(1967年死去、享年52)だ。彼のショーを見に行って紹介されたのが、初対面だった。甘い歌声とクラーク・ゲーブルに似た顔立ちに惹かれたという。
「彼は、私がムービースターだということが好きだったんですね。ケイコはナンバーワンだって、偉そうに私の宣伝をしてくれていました。きれいにして、いっぱい映画やテレビに出ている、そういう私が好きだったんでしょう」
結婚といっても、彼は本国に妻と4人の子供がいて、またカトリック信者であり、その妻と離婚ができなかった。当然、入籍はしていない。
「私、結婚に対してなんの夢もなきゃ、婚姻届を出すとかそんなことも知らなかったの。“好きだ、好きだ”って彼が言って、私が家を建てたらやって来て、お互いに好きだから一緒にいただけ。一緒にいるから結婚だと思っていたくらい(笑い)」
それでも何の不満もなく、幸せだった。27才のときに長男、続いて次男に恵まれた。長男は現在、舞台などでタレントとして活躍する島英津夫(51才)。次男(47才)も健在だ。未婚の母としてハーフの子供をふたりももうける…1950~1960年代の日本で、世間体をはばからない、なんという大胆な生き方だったのか、と思わないではいられない。それも経済的に自立できていたからだが、その働きのおかげで彼の家族の生活さえも抱え込んだ。
「毎月、彼の両親にも、子供と奥さんのためにも仕送りしていました。だって、助けてあげたいじゃないですか。私、あんまり損得でものを考えないわ。できるから、してあげるだけで」
※女性セブン2013年1月24日号