兵庫、香川、滋賀で平穏に暮らしていた4家族を離散させ、死者・行方不明者は10人を超えるという犯罪史上最大級の尼崎連続怪死事件は、主犯格の獄中死という最悪の結末を迎えた。事件発覚から3か月――。気鋭のノンフィクション作家・石井光太氏が角田美代子の人生を追った。
美代子は中学時代、月岡という姓を名乗っていた。中学の同級生によれば、月岡はお世辞にも美人とは言えず、ゴリラみたいな顔で、陰で『ゴリっぱち』と呼んでたぐらいで、男は誰も相手にしたがらず、女の友達もまったくいなかったという。(文中敬称略)
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中学卒業後、美代子は高校一年の一学期で中退し、ほどなく結婚する(17歳時)。中学時代は「ゴリっぱち」と蔑まれた少女も、いつしか女としての幸せを欲するようになったのだ。ある同級生はこんな光景を憶えている。
「高校二年の大晦日やったかな、町を歩いとったら、ばったり月岡に会うたんや。今何しとんねんと訊いたら、『ウチ結婚したんや。遊びに来い』と言われてアパートに連れて行かれ、見事なお節料理を見せられた。月岡は『うちがつくったんや』と自慢しとったけど、嘘だとわかった。どっかで買うてきたんやろ。でも、月岡がチャンチャンコを着て女っぽく振る舞っているのを見て、こいつも落ち着いたんかな、と思った」
相手は同級生の兄だった。これほど早く結婚したのは、家庭への飢えがあったからだと思う。だが、結婚生活は長くはつづかなかった。わずか一年も経たずに離婚に至ったのだ。
再び彼女は独り身となり、今度は尼崎南部の中心地のひとつ出屋敷駅周辺に出没するようになった。このあたりは売春宿や連れ込み宿があり、夜になると酒臭い労働者たちであふれ返った。美代子は川辺にある連れ込み宿を借りて手下の女三人を雇い、行き交う男たちに声をかけては売春を斡旋していた。前出の同級生はたまたま川の近くで美代子に声をかけられ、「安うしとくで」と言われたらしい。
もし彼女が容姿に自信があり、男にこびる術を知っていたら自ら体を売っていたかもしれない。だが、彼女は十代半ばで自分に女としての魅力がないことを認め、他人の体で春を売る道を選んだ。
幼い頃から母のしていた夜の商売や父の遊郭での放蕩を見てきた影響もあった。十九歳の時、彼女は十六歳の少女に対する売春強要で逮捕されている。
美代子は二十歳を越えて、気の弱い同級生と二度目の結婚をしたが、これもまた長続きしなかった。連日のように仲間を家に引き込んでは深夜まで騒ぎつづけていたため、出ていかれてしまったのだ。
この二度目の離婚は、彼女の胸に一生残る傷を与えたようだ。彼女はその後一度も正式な結婚をせず、幼馴染との関係も絶ち、地下の世界に潜り込んでしまうのである。
※週刊ポスト2013年1月25日号