土曜日から始まった大学入試センター試験は、この制度が始まった当初は「共通一次試験」と呼ばれた。「共通一次世代」「マークシート世代」の大人力コラムニスト・石原壮一郎氏は「ゆとり世代を責める大人は己のゆとりのなさを直視すべし」と説く。
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1月19日と20日は、大学入試センター試験です。今年の志願者数は、およそ57万人。受験生のみなさん、それぞれの実力を存分に発揮してがんばってください。
この季節になると、かつて自分たちが「マークシート世代」と呼ばれていたことを思い出します。いわゆる「共通一次」が行なわれていたのは、1979(昭和54)年からセンター試験が始まる前年の1989(平成元)年まで。だいたい今の42歳ぐらいから52歳ぐらいまでが、共通一次を経験しています。
始まったころは、当時は目新しかったマークシート方式の試験に対して、もっともらしい批判をぶつける人がたくさんいました。論理的な思考力や創造性がなくなって、与えられた答えを探すだけの人間になってしまうとか何とか……。月日がたって、そんな「マークシート世代」も、社会の中堅を担う世代になりました。そして、したり顔で「ゆとり世代の若者は、本当にどうしようもない」とか何とか言っています。ちなみに、センター試験もマークシート方式ですけど、もはやそこは何の話題にもなりません。
若い世代は、その上の世代から、いつの時代も批判されたり眉をひそめられたりしてきました。50歳前後の私たちは、社会に出るころは「新人類」と呼ばれて気味悪がられたものです。ちょっと先輩たちは、無駄に熱い「団塊世代」の人たちから、何事に対しても冷めていると決めつけられて「シラケ世代」と呼ばれていました。
そんな歴史を振り返ると、若い世代を「ゆとり」とひとくくりにして批判するのは、けっこうみっともない行為かも。かつて自分たちが若いころには、やたらと「キミたちは新人類だからねえ」と言いたがるオヤジに対して、心の中で「こいつ、頭悪そうだなあ」と軽蔑したり、「自分に自信がないヤツに限って、若い世代を批判したがるんだよな」と冷たい目で見たりしていたはず。無責任で根拠の薄い「ゆとり批判」をすれば、たしかに目先の溜飲は下げられますが、そういう代償は覚悟する必要がありそうです。
至らない点を批判するのは大いにけっこうだし、ダメなヤツは(ほかの世代にもいるのと同じように)たくさんいるでしょう。しかし、世の中の批判の尻馬に乗って「ゆとり攻撃」に精を出したら、大人としてのゆとりのなさを示してしまうだけ。本人を叱ったり陰で悪口を言ったりするときは、意地でも「ゆとり」という単語を出さずに、どうにか別の表現を使うのが大人の意地であり、大人の余裕がありそうに見せる小細工です。
しかも、そういう姿勢でいこうと決めれば、同僚たちが「ゆとり批判」をしているのを聞きながら、「こいつら、自分のプライドを守るのに必死でゆとりがないんだな」とこっそり見下すこともできます。なんかちょっと小賢しくてズルイ手法かもしれませんけど、しょせんは「マークシート世代」であり「新人類」なので、そのへんは仕方ありません。