X JAPAN、LUNA SEA、米米CLUB、ユニコーン、プリンセス プリンセスと、2000年代後半以降、人気バンドの再結成が急増している。そこで気になるのが、今年デビュー30周年を迎えるチェッカーズの動向だ。昨年12月28日、リーダーだった武内享が、ツイッター上でこうつぶやいている。
「ツイッターとやってないだろうが、オレにチェッカーズ再結成話で電話してくる業界関係者に言いたい。中途半端な気持ちでオレに電話するな。オレはチェッカーズが本当に好きなんだ。だからオレが一番やっかい」(原文ママ)
業界関係者が、チェッカーズ再結成話を持ちかけてきているというのである。
チェッカーズは1983年に『ギザギザハートの子守唄』でデビューし、翌年『涙のリクエスト』が大ヒット。以降も、『星屑のステージ』『ジュリアに傷心』『I Love you, SAYONARA』『夜明けのブレス』など数々のヒット曲を出し、1992年に惜しまれながら解散している。
チェッカーズといえば、思い起こされるのが、2004年にドラム・徳永善也氏が死去した際に話題となった“確執騒動”。『徳永善也を送る会』の発起人に、武内享、大土井裕二、藤井尚之、藤井フミヤの元メンバーは名を連ねたが、高杢禎彦、鶴久政治というサイドボーカルコンビの名前はなかった。この出来事はワイドショーなどで、大きく報じられた。
「チェッカーズ解散後、武内などの楽器陣は、徳永と『アブラーズ』というバンドを組み、ともに活動。そのライブに、フミヤがゲストで登場したこともありました。一方、高杢や鶴久は7~8年間まったく徳永と会っていなかったはずです。
『送る会』以前に福岡で行なわれた葬儀には、鶴久は仕事で来られなかったものの、高杢は参加。フミヤに『久しぶり!』と声をかけられ、感動したと漏らしています。しかし、『送る会』の案が出た後に、高杢が突然『発起人になりたい』と言い出したのには皆、閉口したようです」(音楽業界関係者)
というのもその前年に、高杢は暴露本『チェッカーズ』を発売(本人は、テレビで「ボーロ本ではなく、ジショ伝」と発言)。これが、チェッカーズの不仲を世間に知らしめる決定的な出来事になっていた。
「暴露本を出しておいて、『仲良くしよう』といわれても、あまりにも筋が通らないでしょう。私も読みましたが、あまりに独りよがりな発言ばかりで、空いた口が塞がりませんでした」(前出・音楽業界関係者)
このような一連の流れから、チェッカーズの再結成は不可能だという見方が大半だ。長年のファンはこう話す。
「クロベエ(徳永の愛称)が天国に行った時点で再結成はありえない。7人でチェッカーズなんです。思い出は美しいまま残したい。ただ、万が一再結成したら……、やっぱりライブのチケットを取っちゃうのかなあ……」