中村勘三郎、小沢正一、大島渚、大鵬……昨年末から今年1月にかけて「大物」が亡くなっている。そのたびにSNSに上がるのが「追悼メッセージ」だ。全く関係がない、それまで知りもしなかった人への弔意に意味はあるのか。大人力コラムニスト石原壮一郎氏があえて踏み込む。
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語弊がありまくる言い方ですが、ツイッターやフェイスブックといったSNSの利用者の一部は、大物の死去が大好きです。あくまで一部なので、思い当たる節があったとしても「きっと自分のことじゃないな」と大らかに受け止めてください。
文化人にせよ芸能人にせよ実業家にせよ、「一時代を作った」「今の○○があるのは、この人のおかげ」と言われるような大物が世を去ると、ツイッターもフェイスブックも一気に盛り上がります。「ウソだろ!」「あー、ついに……」といった素朴な表現から、「謹んでご冥福をお祈りいたします」などの礼儀正しい言い方まで、悼む気持ちの表現はさまざま。さらに、それに乗っかって「好きだったなあ、あの人の作品」とか「仕事が手につかないよ」といった声が乱れ飛びます。差し障りがないようにあえて古い例を出すと、たとえばスティーブ・ジョブスの死去が報じられた日は、呆れるぐらいの大騒ぎでした。
もちろん「死を悼んで何が悪い」と言われたらそれまでだし、何の迷いもなくそう言い切れる人は、これからもチャンスを見つけてどんどん悼んでください。ファンだったかどうかや、そもそも何をやったかを知っているかどうかも、気にしなくていいんじゃないでしょうか。悼むことで、「この人の死を残念に思える豊かな感性を持った自分」をアピールできたり「この人をきちんと評価できる賢くてハイソな側のグループ」に属している気になれたりできるんですから、まったくありがたい話です。
しかし、友達を減らすのを承知で言ってしまうと、そんなふうに何の遠慮もなく、知人でもない人の死去に群がるのは、あまりお行儀がいいとは言えません。さらに、無駄に敵を作るのも承知で言ってしまうと、やっていることはハゲタカと似たり寄ったりです。一方的に知っている人の「ご冥福をお祈り」するのは、けっこう図々しい行為ではないでしょうか。祈るのは勝手ですけど、たぶん本人は嬉しくもなんともないでしょう。
いや、ツイッターにせよフェイスブックにせよ、それぞれが「自由な使い方をする」というのが大原則です。批判される筋合いも、批判する必要もありません。あなたがもし、私同様“ハゲタカ現象”に思いっきり違和感を覚えていたとしても、誰かに「みっともないからやめたほうがいいよ」と注意するのは大きなお世話です。自分はそのブームに乗らないようにすることが、大人としてのせいいっぱいの抵抗。「惜しい人を亡くしたな」という想いは、ひとりで噛みしめれば十分で、チンケな自己アピールに利用するのは不謹慎です。
ま、ここでこんなことを言っていることは関係なく、これからも大物が世を去るたびに、SNS上では“ハゲタカ現象”が巻き起こるでしょう。乗っかりたい誘惑に打ち勝って黙って観察すれば、多少の優越感を抱くことができます。それはそれでチンケな優越感ですが、チンケな自己アピールよりはマシだと自分に言い聞かせるのが大人のやせ我慢です。