先日、80歳で亡くなった映画監督の大島渚さんは、脳出血で倒れてから20年近く闘病とリハビリを続けていたことでも知られている。生前の大島さんの生活を振り返りつつ、闘病を支えた妻で女優の小山明子さんの言葉から、病気になる前、なった後、なにを食べたかについて作家の山藤章一郎氏がつづる。
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監督を介護してきた妻・小山明子さん(78)の『パパはマイナス50点』(集英社)に、「食事との戦い」のありさまが詳しい。
「大島は、来客があれば朝でもビール、お昼のワイン、夜の日本酒、ウィスキー」と飲みつづけた。
「お酒と私と、どっちが大事なの!」ときつく問うたりしたが結局、「大島は、体の右側が麻痺し、失語症になり」
夫妻は、「倒れた夫、壊れていく私」の過酷な状況に陥った。
「それまで、人間ドックではいつも血糖値が高く、ちょっと糖尿の気があるから気をつけてください」と言われていた程度だった。
そこで糖尿に効くと聞いた煎じ薬を毎日飲んだ。しかしやったことはそれだけ。あとは「お酒をガバガバ飲み、高カロリーの料理を好んで食べ、運動もせず、ハードな仕事に追われ」
ある日、一撃はとつぜんにやってきた。「血糖値は、倒れたときには250近かった。もう立派な糖尿病患者だった」
作家の野坂昭如さん(82)も、72歳で〈脳梗塞〉に仆れた。
「野坂は取り憑かれたように、食べることもなくお酒を飲んで睡眠不足。ハチャメチャな状態でした」「いつかドブにはまって死んでしまう」と、小山さんとの対談で夫人は明かしている。(『笑顔の介護力』かまくら春秋社)
野坂夫人に小山さんが返す。
「うちも大酒飲み。出会ったころは60キロぐらいで細いから好きになったのに」
大島さんは一時は100キロ近くに太った。で、医者に糖尿病を注意され、「1日2食。米、パンなどの炭水化物は厳禁。お酒も禁止でした」という食生活だった。
※週刊ポスト2013年2月15日号