大阪市立桜宮高校に端を発した体罰問題が広がり続けている。学校教育の体罰について、ドイツの例を参考に考えたい。(取材・執筆=フリーライター・神田憲行)
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体罰問題を高校野球の監督をしている友人と話していて、彼が自分のこんなエピソードを紹介してくれた。
若くして母校の監督に就任して初めて選手の保護者会があったときのこと。リトルリーグの監督もしているという保護者からこんな指摘を受けた。
「私がグラウンドに来ても誰も選手が挨拶をしない。どういう指導をされているのか」
友人は答えた。
「挨拶といった基本的なシツケは家庭でお願いします」
私は「よく言い返した」と思ったが、保護者会では「シラーとした雰囲気が漂った」という。
体罰問題が繰り返されで跡を絶たないのは、子どもの教育をなんでも学校に委ねる風潮も、土壌にあるのはではないか。
「ドイツでは校門から一歩出れば学校の管轄外。煙草を吸っている生徒を目撃しても教師は注意しません」
というのは日独ハーフで「生きる力をつけるドイツ流子育てのすすめ」の著者、サンドラ・ヘフェリンさん。ドイツで義務教育を過ごしたサンドラさんは、1度も体罰を受けたことも目撃したこともないという。
「ドイツでは遅くとも1980年代前半には、体罰が法律で完全に禁止されていました。基本、子供の生活態度の管理をする担当は学校ではない、というのがドイツの共通したスタンスです」
サンドラさんによると、ドイツで「問題行為」(授業中に騒ぐなどの行為。髪の毛を染めるような身だしなみや学校外で起こした問題ではない)を起こした生徒には、まず「口頭」で注意される。その「注意」が3回たまると、校長から生徒の家に「問題行動を起こしたことへの注意」が書面で送られる。そしてこの書面が3通たまったら退学、という。
「ドイツでは教師の家庭訪問もありません。学校と家庭は厳格に区別されています」(サンドラさん)
他国のやり方が日本にそのまま適用できるとは思わない。しかし体罰問題を掘り下げていくと「学校教育と家庭教育の峻別」に行き着くのではないか。学校外で生徒を指導してくれる教師を私たちは「面倒見の良い先生」と賞賛してきた。それは教師に本来親がすべきことを押しつけたことにならないか。学校や教師の責任を非難するだけでなく、家庭を含めた私たちの教育観を問い直すべき時期に来ている。
冒頭の高校野球の監督をしている友人に「体罰をしたことがあるか」と訊ねると、
「あのな、野球が下手なぐらいで人を殴れるか」
と苦笑した。