1989年の天安門事件当時の民主化運動指導者で現在、米国亡命中の王軍濤氏(55)が1月11日に病気で死亡した父親の葬儀に出席するため、帰国を求めているが、中国当局はいまだに王氏の入国を拒否していることが分かった。
王氏らは「人道的な問題」としているが、この入国拒否の裏には、王氏の北京大学時代の友人で、次期首相と目される李克強・筆頭副首相が学生当時、王氏らとともに民主化運動に理解的だったとの過去を隠すための措置との見方が強い。
王氏が自由アジア放送に語ったところによると、王氏の父親は5年前からずっと病気で入院しており、その時期に、岳父(妻の父)も病気で死亡したことから、ニューヨークの中国総領事館やワシントンの中国大使館を通じて、中国政府に帰国の許可を求めていた。
さらに、その後も毎年、帰国の申請を出していたものの、「いまだに中国当局からの返答はない」と王氏は明らかにしている。
王氏は1989年の天安門事件のきっかけとなった民主化要求運動で、学生らに運動の方法などを指導し、大きな影響力を持っていた。事件後、逮捕され、裁判では反革命扇動宣伝罪や政府転覆罪で懲役13年の判決を受けたが、1994年に「病気治療」の名目で出国し米国に滞在。ハーバード大学で修士課程、コロンビア大学で博士課程をそれぞれ修了した。
王氏は現在、米国を拠点にする中国問題専門のニュースウェブ「多維新聞網」などを運営する一方で、香港や米国を中心にするメディアで、中国問題を論じている。
王氏に限らず、海外に在住している民主化運動指導者の中国再入国はほとんど許可されていない。これは天安門事件当時の民主化運動指導者、王丹氏やウーアルカイシ氏、それ以前に出国した魏京生氏らにも共通している。
しかし、中国問題に詳しいジャーナリストの相馬勝氏によると、王軍濤氏の場合、「特殊な事情が関係している」という。それは、今年3月の全国人民代表大会(全人代)で温家宝首相の後継首相に就任するのが確実な李克強氏との関係だ。
「王氏と李氏は北京の学生時代、同じ学年で、ともに民主化サロンを運営し、中国の民主化実現に向けて、激しい議論を展開。実は、李克強氏の方が王軍濤氏よりも民主化実現に積極的な発言をしていたとの証言があるほどだ」と相馬氏は指摘する。
このため、王氏が帰国すれば、「李氏の学生時代の発言内容が明らかにされる可能性が強いことから、王氏の帰国許可に李氏が強硬に反対しているとの情報がある」(相馬氏)。これが事実ならば、李氏は自身の政治的野心のために、父親の葬式参列という人道的な理由をも拒否したということになる。