わずか3年間で実現が見えてきた、横浜市の「待機児童ゼロ」。旗振り役となったのは、高校卒業後、結婚してから転職した先のホンダで瞬く間にトップセールスウーマンとなり、その後BMW東京社長などを歴任した林文子・横浜市長(66才)だ。
働く女性の先駆けとして活躍する一方で、彼女は数々の“女性がゆえの壁”を見てきた。育児のために辞めていく女性、働くために産むことを諦める女性……待機児童解消にかける情熱は、林さんの、「働く女性」としての人生の延長線上にある。
保育所に通いたくても通えない「待機児童」は、全国で深刻な問題となっている。厚生労働省の調べでは、全国の待機児童数は約2万5000人。5年前より5000人以上増加した。保育所の増設などで受け入れる子供の定員数は広がっているのだが、都市部を中心にそれを上回るペースで入所希望者が増加しているため、追いつかないのだ。
東京都内の住宅地にある保育所では「50人待ち」や「100人待ち」というケースも珍しくない。子供をおんぶして区役所へ行き、「私が働かないと家計がもちません」と頭を下げる母親、保育所の入所申込書に「絶対に入れてください」と手書きの嘆願書を添えて送る母親──保育所が見つからなければ、育休明けに復職できなくなってしまう。母親たちの思いは切実だ。
今でこそ待機児童ゼロの実現が見えてきた横浜市も、かつては同じような状況が続いていた。同市における待機児童数は、2010年4月に1552人まで増加し、全国の自治体の中で2年連続ワースト1位。それまでの過去5年間で保育所の定員数を5300人増やしていたものの、待機児童数は1000人以上も増えてしまっていた。横浜市緊急保育対策室の伊東裕子課長が言う。
「保育所をつくっても、それ以上に入所希望者が増えてしまう、いたちごっこでした。ニーズがあるところに保育所をつくる計画を立てるのですが、翌年には、子育て中のご家庭が待ちきれずに引っ越してしまったりで、計画の前提そのものまで変わってしまう。待機児童の解消を目指している私たち自身が、ゼロになるなんて難しいと思っていました」
その思いは、伊東さんだけでなく多くの職員が抱いていたものだった。しかし、2009年8月に林さんが市長に就任すると、状況は一変する。その後の2年間で待機児童数が9割近く減り、この4月には「ゼロ」を達成できるまでに改善されたのだ。
“奇跡”と呼べるほどの逆転現象はなぜ起こったのか? 林さんが市職員に向けて徹底したのは「絶対に諦めるな」という強いメッセージだった。
例えば、就任後すぐ、市長は自身を含め総勢16人の緊急保育対策チームをつくっている。その場で林さんがメンバーに向かって熱く語ったのは、細かい政策の話ではなく、次のような内容だったという。
「待機児童は必ず解消しましょう!」
「みなさんなら必ずできます。一緒にやりましょう!」
前出・伊東さんが振り返る。
「市長はとにかく待機児童ゼロに対する強い思いを私たち職員に繰り返し伝えました。『無理です』という声が上がっても、そこは絶対にブレなかった。何を目標にしていくかを明確に示したんです」
その上で、メンバーからじっくりと話を聞いていった。時に褒めて、時に叱る。ある市職員は林さんのことをこのように評した。
「職員一人ひとりと向き合って、まるで母親のように愛情を持って叱ってくれます。気持ちの表裏がなく、本気で体当たりしてくるので、私たちも自然と全力で取り組んでいくんです」
※女性セブン2013年3月7日号