ターミナル駅として賑わう東京・池袋駅から北東へ徒歩20分ほど。閑静な住宅地の一角に「長崎富士塚」がある。江戸時代の1862年に地元・長崎村の「富士講(富士信仰のグループ)」が建設したもので、霊峰・富士に行けない人々のために、富士山に登拝したのと同じ霊験を得られるとして造られた直径21メートル、高さ8メートルの石塚である。
現在、その長崎富士塚では周囲に足場が組まれ、作業員によって積まれた岩を調整する作業が行なわれている。ずれた岩を修復するために1100万円を投じた工事は3月末までだが、実はこれに「震災復興予算」が使われているのである。
富士塚の隣にあるマンションの住人は目を丸くした。
「地震の時は揺れましたけど、富士塚が崩れたわけじゃないし、ウチの子も毎日のように隣にある公園で遊んでいますよ(苦笑)。歴史のある塚だとは思うけど、まさか復興予算で工事しているとは思いませんでした」
文化庁がまとめた「被災文化財の復旧等」のリストには、〈東日本大震災により被害を受けた国指定文化財の保存・修復等を実施する〉との目的が記され、岩手、宮城、福島の文化財名と復興費用が並んでいるが、なぜかここには「長崎富士塚」や、常盤橋門跡(東京・千代田区)に1億3900万円など、「被災地」というには違和感のある史跡が紛れ込んでいる。
文化庁記念物課に理由を聞くと、「文化財の件数自体が被災地よりも都心部が多いため、そうなっているというのもあります。実際に、山梨では震度5の地震があり、文化財への被害がありました。被災地には、復興予算の他に復興交付金として、地方経由でも文化財修復の費用は出ています。被災地への復興のためには、いろいろと他の予算もあるのです」との答え。
※週刊ポスト2013年3月8日号