名優たちには、芸にまつわる「金言」が数多くある。映画史・時代劇研究家の春日太一氏が、その言葉の背景やそこに込められた思いを当人の証言に基づきながら掘り下げる。兄の高廣、正和とともに田村三兄弟として共演もする兄弟の仲について語った。
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「剣戟王」の異名を持つ往年の映画スター・阪東妻三郎は1953年に亡くなる。長男・田村高廣は翌1954年に父の跡を継ぐ形で映画デビュー、三男の正和も1960年に芸能界入りした。そして四男の亮は1966年に俳優としての第一歩を踏み出す。
正和主演の『乾いて候』(フジテレビ)など、田村三兄弟は共演作で一堂に会することも少なくない。1990年のドラマ『勝海舟』(日本テレビ)では、主演の正和が撮影途中に病気で倒れ、亮が一部代役している。
「僕と母は一緒に住んでいたので、正月になると兄弟はみんなウチに集合していました。ただ、仕事の話は一切しないですね。演劇論なんて何一つやらない。
だから上手くいってるんじゃないかと思います。お互い、自分の考えてきたものを貶されたりすると、たとえ兄弟でも穏やかじゃないですから。
ですから、共演しても照れちゃいます。『俺はやりにくいけど、正ちゃんはどう?』って聞いたら、正和兄貴も『やりにくいよ』って。『勝海舟』の時も、大袈裟なやりとりはなかったですよ。病院に行って、『俺に話がきちゃったよ』って言ったら、『あれは時代劇調でやらない方がいい。俺は現代劇的にやったから、まあ適当に頑張ってよ。悪いな』って、そのくらいのものです」
※週刊ポスト2013年3月8日号