「きんは100シャア、ぎんも100シャア」――。そんな名セリフで日本中を沸かせた双子の100才、きんさんぎんさん。あれから20年が経ち、ぎんさんの4人の娘たちも今や平均年齢94才、母親譲りのご長寿だ。
その日は、4姉妹の胸のなかに、それぞれ格別な思いが広がることになった。
明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生き抜いた姉妹たちの母・蟹江ぎんさん(享年108)が大往生を遂げたのは2001年2月のこと。それから12年の歳月が流れた今年2月24日、ぎんさんの十三回忌法要が、蟹江家の菩提寺である長源寺(愛知県東海市)で営まれた。
五女・美根代さん(90才):「普通なら90代になれば、誰かがあの世に逝っててもおかしくないわけだから、こうやって4人揃ってね、おっかさん(ぎんさん)の十三回忌を迎えられたんは、ほんと、奇跡のような気がするがね」
四女・百合子さん(92才):「ここまで達者で生きてこれたんは、おっかさんが気力をくれたからだがね。そいだで私らがぴんぴんしてるのは、やっぱし、めでたいと違うやろかぁ」
長女・年子さん(99才):「私はもうすぐ100才だから、めでたい、めでたい(笑い)」
午前11時、親族やぎんさんとゆかりのある知人など約60人が御堂に会し、僧侶の読経が始まった。ポンポコ、ポンポンという木魚と鐘の音が響き、和服姿で両手を合わせる4姉妹はいつになく厳粛な面持ち。およそ40分で読経は終わった。
三女・千多代さん(95才):「目ぇつぶってお経を聞いとったら、誰かにポンと肩を叩かれたような気がして、ふーっと目ぇ開けたら、祭壇の位牌の上にな、おっかさんがちょこんと座ってござった。こういうのは、初めてのことだよ」
仏教における「法要」とは、故人があの世で良い報いを受けられるよう、仏に祈る儀式で“追善供養”とも呼ばれる。死後の世界では、地獄の主・閻魔大王による生前の行いへの裁判があると考えられているため、故人の罪が少しでも軽くなるように祈るのが法要だ。
一般的には「七七日(四十九日)」が忌明けで、盛大な法要を行うケースが多い。その後は一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌と続き、33回目の命日となる三十三回忌を「弔い上げ」と呼んで、最後の法要とすることが多いようだ。
美根代さん:「そいだで、身内の者が年忌法要をしないと、その故人の霊は仏になれんから、“助けてくれぇ!”ちゅうて、この世をさまようことになると、これは昔から言われとる」
年子さん:「そのさまよう霊が、ほら、火の玉だがね。昔はね、この火の玉が、よう出たって騒ぎになったの。私も何回か見たことあるよ。よく覚えとるのは30才くらいのとき、かれこれ70年前だがね。
墓場じゃなくて、普通に夜道を歩いとったら、背中のあたりがポーッと青白く明るぅなって、振り向くと、これが火の玉…。そいでびっくりしたのは、火の玉がすーっと近くの家の屋根のあたりに止まって消えるだが。するとね、翌日に、そこの家から葬いがでたんだわ。あれは、今思い出しても不思議だった…」
千多代さん:「私は見たことないけど、昔はあっちこっちでヒュー、ドロローンって、火の玉が見えたという話があったがね。なんで昔は、そんなに火の玉が出たんだろか!?」
美根代さん:「昔は街灯がなくて、夜道は真っ暗だったから、火の玉が見えたんよ。今は、夜も煌々と明るいから、火の玉もね、どうせ人間どもに見えんのなら、出る価値がないちゅうて、おいそれと出てこんのかもしれん(笑い)」
ぎんさんの姿が千多代さんの目に映ったのは、母の霊がさまようことのないようにと法要を営んだ娘たちにお礼の意味を込めて、ぎんさんが起こした小さな奇跡だったのかもしれない。
※女性セブン2013年3月21日号