大震災から2年が経つ。震災後の大混乱の中で検証不可能な情報が錯綜し、津波や原発事故の苦しみに直面した人々の不安を駆り立てた。
「放射能がくる」──原発事故後にそうした報道が相次いだことが影響したのか、震災後、放射能汚染から最も遠い場所として沖縄へ自主避難する家族が急増した。昨年2月には、青森の雪を沖縄に運ぶ毎年恒例の雪遊びイベントが、自主避難者らの「放射能に汚染された雪をもちこむな」との抗議の声で中止に追い込まれたことも話題となった(雪は市内の学童クラブに持ち込まれた)。
沖縄に避難したママたちはいま、どうしているのか。関東近郊で放射線測定活動をする母親たちに聞き込みをしたところ、
「沖縄に子供を連れて避難した仲間は、みんな戻っています。短い方で震災から半年、長い方でも1年が限界でした。旦那さんに“そろそろいいんじゃない?”などといわれ、ケンカの末に連れ戻されるケースも多い」(神奈川県川崎市在住の39歳主婦)
「1年ほど前までは、周囲にも沖縄に避難した人が4~5人いましたが、さすがにいまはいません」(埼玉県川口市の44歳の主婦)
一方で、帰らない決心をしたママたちもいる。3歳の子供を連れて沖縄に避難し、現在は移住支援活動を行なっている古舘順子氏(沖縄移住支援サロンティンクルラボ代表)は、地元に溶け込むことが課題だという。
「自分も含めて放射能がきっかけで移住される方に注意しているのは、被害者意識を捨てるということ。“自分は放射能から逃れてきたのよ!”“私は大変だったのよ。何でわからないの?”といった話ばかりして、地元の人が拒否感を感じるケースがとても多い。瓦礫受け入れの反対運動をしている移住グループと地元の人が大ゲンカになったこともありました」
そうした軋轢があっても、古舘氏をはじめ沖縄に移住することで心の安寧を得たママたちが多いのは間違いない。ただ、なかにはそれでも心配の種が尽きない人もいる。
「川崎の専業主婦で、いまでも3歳の子供を連れて那覇に“疎開”している友人は、最近はPM2.5の大気汚染のことで気を病んでいて、私にメールやラインで『パニックになっちゃう』と悩みを打ち明けています」(前出・川崎市在住の主婦)
完璧な安全を得るのはどこにいても難しい。
※週刊ポスト2013年3月22日号