14年連続して3万人を超えていた日本の自殺者数が、平成24年は久しぶりに3万人を切る見込みだと警察庁は発表した。しかし、いまだ交通事故死者の7倍という多くの人が自ら死んでゆく。和歌山県白浜で、死のうとする人を保護する活動を15年続ける白浜バプテストキリスト教会の藤藪庸一牧師を、作家の山藤章一郎氏がたずね、リポートする。
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「いまどちらにおられますか」
「三段壁の公衆電話です」
〈いのちの電話〉を受けた白浜バプテストキリスト教会の藤藪庸一牧師は、深夜でも駆けつける。
牧師はここに〈白浜レスキューネットワーク〉を置く。この15年間で約660人を保護した。
死にに来た人は、おしなべて、帰る家がない、おカネがない、仕事がない、家族がいない。思いとどまらせるだけでは不備である。〈保護〉とは、ふたたび社会復帰できるまでの〈生活〉をいう。
いまは、教会の長椅子をベッドに、隣りのアパートに、隣りの家にと、5人が分かれて共同生活をしている。多い時で、26人いた。
朝、ゴミ出し、ミーティングののち、それぞれの仕事に出る。旅館の厨房、配膳、弁当屋の皿洗い、警備。仕事のない者は、自転車で1時間のハローワークに通う。牧師はいう。
「しんどいけど、自立の第一歩の自転車通いです」
食事はみなで一緒につくる。牧師の家族も、ともにいただく。テレビはない。互いに話し合ったり、新聞や漫画を読み、消灯10時。費用はNPOの寄付による。5人で月に20万円。
「三段壁に来たひとは、もう誰もおらんという孤独感に打ちのめされています。一方で、あの人に迷惑をかけた、この人に嫌われてしまったと、不安でしょうがない。さらに、『頑張れ』といわんでくれという気持ちも強い。
なんでそう頑張ったのかと、こちらが訊き返した人もいます。悪循環でもがいて死にに来たのです」
●65歳。元・製造業社長。
連帯保証で多額の返済金がのしかかった。債務者本人は逃げた。追い詰められて、三段壁に来た。だが、飛び込む勇気はない。ここで野垂れ死ぬしかない。弁当、カップ麺を買うカネもない。〈いのちの電話〉の看板近くの公衆トイレの水だけを飲んで、三段壁に坐りつづけた。真夏の炎天下、意識が朦朧としてくる。もう水を飲みに行けない。頭は灼け、顔は変色し、唇は腫れてきた。4日めの夜、女子大生のグループが自分の前を通り過ぎた。ひとりが戻ってきた。
「おっちゃん、阿呆なことしたらあかんで。死んだらあかんで」
朝になって気づいた。手に2000円を握らされていた。それでよろよろと土産物屋の食堂で食い、〈いのちの電話〉をした。
共同生活を経て、ハローワークでホテル清掃兼ナイトフロントの仕事を見つけ、7年間働き、脳梗塞に仆れ、がんを発症して死の病床についた。だんだん無くなってきた力をしぼり、声を這わせた。
「センセ、わし、生きてきてよかった。戻って2000円握らせてくれたあの子のおかげや。人生を助けられた。死んだらあかん」
※週刊ポスト2013年4月12日号