「聖徳太子の憲法十七条でも『和を以て貴しとなす』というようにだな……」
「あー、お父さん、聖徳太子って架空の人だから」
「なぬ!?」
父と子の間で、こんな会話が交わされる日が近い将来やってくるかもしれない。
清水書院が来年度から改訂する高校の日本史教科書には、〈聖徳太子は実在したか〉との項目が掲載される。
〈『書紀』の記す憲法十七条や冠位十二階、遣隋使の派遣についても、厩戸王(うまやとのおう・聖徳太子)の事績とは断定できず、後世の偽作説もある〉
さらに、厩戸王と聖徳太子は別人とする説や、太子は架空の人物とする説があるとし、旧1万円札の肖像画も本人とする根拠がないと記している。
掲載の理由を清水書院編集部に聞いた。
「近年、『日本書紀』や法隆寺系の史料研究をもとに、聖徳太子の実像については多くの疑問が提起されています。そこで、資料にはさまざまな見方があり、定説を疑うことを考えてもらうために掲載しました」
この記述は教科書や学校の関係者にも波紋を広げ、『教科書から消えた日本史』の著者で、文教大学付属高校講師の河合敦氏も、「私も聖徳太子の実在を疑ってきたひとりだが、ついに教科書に掲載されたかと驚いている」という。
実は、これまでも聖徳太子の存在感は年々、薄くなっていた。歴史教科書の最大手・山川出版社の教科書の過去と現在の記述を見比べてみれば、違いは一目瞭然だ。いまから25年前、1988年の教科書では、〈推古天皇は、翌年、甥の聖徳太子(厩戸皇子)を摂政とし、国政を担当させた〉となっていたが、今年度の教科書では、〈推古天皇の甥の厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた〉(以下、教科書の引用は山川出版社より)となっている。
聖徳太子より厩戸王という呼び名が強調され、「国政の担当者」から「協力者」に格下げされている。歴史研究によって、この時代に「摂政」という役職は存在せず、「聖徳太子」という名前も、死後100年後くらいから呼ばれたものだと判明したからだ。長く日本史上の「理想のリーダー像」として君臨し、1万円札の顔ともなった聖徳太子の価値は、いつの間にか“暴落”していた。
※週刊ポスト2013年4月19日号