安田清人氏は1968年、福島県生まれ。月刊誌『歴史読本』編集者を経て、現在は編集プロダクション三猿舎代表。共著に『名家老とダメ家老』『世界の宗教 知れば知るほど』『時代考証学ことはじめ』など。BS11『歴史のもしも』の番組構成&司会を務めるなど、歴史に関わる仕事ならなんでもこなす安田氏が、大河ドラマにおける“時代考証の苦労”について解説する。
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昭和42年の大河ドラマで初めてスタッフクレジットに登場した“時代考証”だが、ドラマ作りの主体となり、その最終的な責任を負うのはNHKのディレクター、プロデューサーであり、脚本、演出といったドラマ作りのプロであることは、現代劇のドラマと変わらない。
したがって、時代考証の先生が「これは違う」と指摘したとしても、必ずしもそれが訂正されるとは限らないということでもある。つまり、映像表現や物語としての完成度や「面白さ」を追求するためには、時代考証というチェック機能はかなりの程度、制限されてしまうのだ。
戦国時代を専門とする歴史研究者で知名度も高い小和田哲男さん(静岡大学名誉教授)は、かつて〈江~姫たちの戦国~〉の時代考証にあたった時に、こんなことがあったという。
浅井長政の小谷城が織田信長に攻め落とされる場面で、城が炎上することになっていた。 しかし、最近の発掘調査の成果によって、小谷城は実際には燃えていなかったことが判明。小和田さんは炎上シーンを描かないよう要請した。しかし番組スタッフは、城が燃えていないと、落城がひと目で分からないから、少しだけ火をつけさせて欲しいと粘った。小和田さんは仕方なく「少しだけですよ」と念を押したが、放送を見ると、城は見事に大炎上してしまっていた。
事情を知らない研究者仲間から「小谷城は焼けてない。そんなことも知らないのか」と言われたという小和田さん。時代考証を担当する先生も、実に辛い立場なわけだ。
※週刊ポスト2013年4月26日号