【書評】『少女の私を愛したあなた 秘密と沈黙 15年間の手記』/マーゴ・フラゴソ(著)、稲松三千野(訳)/原書房/2520円
【評者】河合香織(ノンフィクション作家)
最初にこの本を読んだ時は、描かれている事実のあまりの醜悪さに目を背けたくなった。著者はなぜこんな本を書くのかと怒りすら覚え、本書が20か国以上で翻訳・出版されていることに愕然とした。
本書は、マーゴ・フラゴソというアメリカ人女性が、自らの受けてきた性的虐待の日々を描いた自伝的ノンフィクションである。マーゴが7歳の時、偶然プールで知り合った51歳の男ピーター・カランはペドファイル(小児性愛者)で、2人の関係はマーゴが22歳の時、ピーターが自ら命を絶つまで15年間も続けられた。
怒りを覚えたのは、マーゴが2人の歪んだ関係を「愛」と捉えていた心情を描いているからだ。ペドファイルを怪物として描くのではなく、ひとりの人間として捉え、その心情に寄り添う部分が少なくない。マーゴはなぜピーターを愛せたのか。なぜ性的虐待を告発せずに庇い続けたのか。
性行為の描写が非常に生々しいことにも怒りを覚えた。たとえそれが被害を告発する意図だとしても、小児性愛者にとっては詳細な性描写を読むこと自体が性衝動の引き金になりかねない。
マーゴは精神疾患を抱える母と、子供を強権的に支配しようとする父の間で、寂しさを抱えて暮らしていた。そこに現われたピーターは、親切と優しさと嘘と罠を執拗かつ巧妙に張り巡らせ、マーゴとその母親を虜にしていく。
マーゴは自分を大切に思ってくれる唯一の人であるピーターを失いたくなくて、言われるがまま操られるようになる。やがてピーターはマーゴに性的行為を求める。マーゴはそれを一度は断わるが、ピーターの誕生日にお祝いとして行なう。
10歳に満たない少女が52歳の男に対して、である。その最中、マーゴが絵本のお伽噺を思い浮かべる様子が描かれるが、思い返すだけでも胸が痛くなる。
だが、時間をおいて再びこの本を読み返してみると、印象は大きく変わった。本書の最大の特徴は、罪を告発することにあるのではなく、2人の関係を、そして自分自身の心の動きを、卓越した表現力を駆使してありのままに綴ったことにある。著者の人物観察は鋭く、そして慈悲深い。
実はピーターもマーゴの母もまた、幼少時に性的虐待を受けてきた事実が明かされるが、彼らはその傷に向き合おうとせず、「なかったこと」にしてきた。だからこそ、ピーターからマーゴへと「負の連鎖」が起きた。ならば、真実は何なのか、何が起きたのかを直視することこそ「負の連鎖」を断ち切る唯一の手段ではないのか著者はそう思ったに違いない。
〈私はこの本に記憶を書き留めることで、家族が何世代にもわたり悩まされてきた、苦しみと虐待という、古く根深いパターンを壊すことに取り組んだ。執筆を通してひとつわかったのは、祖父母が、子供だった母と伯母が受けた性的暴行に、堂々と対処しなかったがために、心の傷が放置されたまま次の世代に伝えられたということだ〉
被害者だけでなく、私たち社会が目を背けて「なかったこと」にしてきたことこそ、ペドファイルが蔓延る温床を作っている。読めば不快になることは間違いない。それでもなお、子供を守るために読まれるべき本ではないか。
※SAPIO2013年5月号